第二回 瀬名秀明氏 (作家 / 東北大学機械系特任教授)
そのダイナミックな発言と行動を通じて、人々のハートに火を灯す「人」にフォーカスするインタビューシリーズの二回目。
今回ご登場いただくのは、作家であり、現在、東北大学の特任教授も勤める瀬名秀明氏。
瀬名さんは科学に関する小説を執筆する一方、99年からロボット研究者や脳科学者への取材を通して、日本のロボットの現状と将来の行方を小説やノンフィクションという形で発表してきました。
また2006年にはアメリカでプライベート・パイロットの資格をとり、今後は飛行機に関する分野にも挑戦していくといいます。
そんな新たな題材に挑戦しはじめた瀬名さんに、6月に開かれた「オープンハウス2007」(国立情報学研究所)の講演の後、お話をお伺いしました。
(学術総合センターに於いて 聞き手 ?ロボットメディア 小林賢一)
ロボットを通して人とロボットはどうなるか、ロボットを通して人間らしさはどこまでわかるのか、そういうことのほうに興味がありましたね
瀬名さんの作品にはロボット、脳科学、生物、そして多くの科学に関する小説やノンフィクションがありますが、作品を書く前に自分の中に、あるテーマがあってそれに基づいて書いているのですか、それともその時々の関心のある事柄について書いているのですか。
ロボットについて書くようになったのは、実はまったくのなりゆきです。「文藝春秋」という雑誌の編集部からロボットの記事を書いてみないかと言われ、1999年にロボット研究者に取材したのが始まりですね。
ミトコンドリアといった細胞小器官の働きや、がんのメカニズムなど、細胞生物学がもともと好きだったので、たぶん昔から生命と機械の境界みたいなところに興味があったんでしょう。生命も突き詰めていけば機械的な動きが見えてくるし、人間の社会構造だってそうです。小さな分子の働きはナノテクとも直結します。最近、レイ・カーツワイルという発明家がGNR革命ということをいっていて、遺伝子工学とナノテクとロボットが融合して人間のアイデンティティを変化させ、社会構造にものすごく影響を与えていくだろうと予測を立てていますが、生命と機械が渾然一体となってゆくような状況は10年くらい前から漠然と自分も思っていて、小説の中にもよく書いてきたんです。
実際、ミントコンドリアが出てくる『パラサイト・イヴ』は、細胞小器官がエネルギーのエンジンであることに着目したホラー小説ですし、『BRAIN VALLEY』では脳科学と情報科学が主体となっています。ナノテクと生命起源をテーマにした「ダイヤモンド・シーカーズ」という小説も地方の新聞に連載したことがあります。
だからロボットの取材も、最初は「生命」とのつながりで考え始めたんです。機械工学の細かい話よりも、ヒトとロボットのコミュニケーションや、ロボットを通してヒトとロボットはどうなるか、ロボットを通して人間らしさはどこまでわかるのか、そういうことのほうに興味がありましたね。
ロボットをやって、ミトコンドリアをやってというと離れた分野を扱っている印象を持たれるかもしれませんが、自分の中ではそんなに離れているわけではないんです。
ロボットをテーマとしてやってこられた経緯をもう少しお話いただけますか。
1999年頃から取材をはじめ、その後、大阪大学の先生や東京大学の先生たちと親しくなったのですが、一緒に研究まで始めるようになったのは「社会的知能発生学研究会」に入ってからですね。東大の國吉康夫先生からその研究会で講演を頼まれたのがきっかけです。ここのメンバーとは年に2回ほど合宿をやって、ロボットだけではなくて人間の知能についてとことん語り合うんです。それが『知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦』や『境界知のダイナミズム』といったノンフィクション、さらには『デカルトの密室』『第九の日』というロボット小説のシリーズにつながっています。
その後ずっと日本のロボットの最前線を取材されてこられたわけですが、今後のロボットの動向については、どのように見られていますか?
2003年、つまりアトムの誕生日前くらいまでは、まだまだロボットはプリミティブな存在なのだけどいろいろな可能性があると考えられていた時期だったと思います。
学術的にもすごいおもしろいことをやっていて、それが社会さえ変えるのではないかという期待感が研究者にもあった気がします。
だけど、その後は雰囲気が変わってきた。Robo-Oneに出場するロボットは、よく動くし楽しいですけれど、ホビーの一環ですよね。人間社会に役に立つということではない。一方、役立つロボットを目指していたはずの大学の研究は、ちょっと停滞しているように見えてきた。産業界はどうかというと、やはり家庭に入るロボットは思ったほど進歩していないし、安くもならない。産業レベルの現実と大学の研究者の理想論とが乖離してきて、行き先が見えにくくなってきたのがたぶん2003年から2005年のあたり。そのため2005年の愛知万博で国がロボットの将来ビジョンを見せようとしたわけですけれど、まだ市場にすんなりつながるまでは至っていない、ということだろうと思います。でも企業は少しずつ小さなヒットを出すようになってきた。数億円の規模ですけれど、ビジネスとして成り立つものがぽつぽつと見えてきた。それはみんなが憧れていたヒト型ロボットではないけれど、それでも一歩踏み出しつつある。現状はそんな感じではないでしょうか。
小説で描かれるロボットについても何か変化はありましたか?
ぼくがロボット小説を書き始めた頃は、SF作家の間でもロボットという題材はアウト・オブ・デイトで、ほとんど小説の題材としては取り上げられていなかったと思います。アニメの世界で描かれていた程度でしょう。『鉄腕アトム』や『鉄人28号』をなんとか復活させようという動きもありましたが、不発に終わっています。でも最近は『PLUTO』などがヒットして、それまではロボット小説は時代遅れ、今さらロボットなんてと思われていたのが一回転して、古い器を新しくモデファイして見せ直す土壌が育ってきて、エンターテインメントとして認知されるようになってきたと思います。そこで描かれているロボットは決して革新的なわけではなく、最新のロボット学の成果を取り込んでいるわけではない。その意味で、ここ10年のロボット学は、物語作家にしっかりした影響を与えられなかったのかもしれない。でも最近のロボットものは古くからの問題意識を新しい器で出すことで、普遍的なテーマを読者に改めて伝えることに成功するようになってきたのではないかと思いますね。
介護や看護や理学療法士の視点からロボットを見直すことで、介護や看護のサイエンスのあり方そのものが変わる可能性がある気がします
ロボットが家庭や職場で活躍する上でのポイントは何でしょう?
やはり安全面が大変重要なのだと思います。最近は一般の人が「そのロボットって本当に安全なのか」とちゃんと疑問として発せられるようになってきました。それまでは「ASIMOかわいい」というところで思考停止していたのだけど、実際に家庭にロボットが入ってくるということが現実化してくると、ロボットは本当に安全なんですか、危害を加えませんかということを一般の人が気にするようになってきた。それはとてもよいことだと思うんですね。研究者も安全面が自分のロボットの評価基準になるということがわかってきた。
超高齢化社会を迎え、介護分野での機械化は必須と思われます。しかし、長いこと研究されてきたにもかかわらずなかなか実用化されないのはなぜだとお考えですか?
以前、大学の看護学部に勤めていたことがあって、いまも当時の学生たちとは交流があります。そこで改めて思うのは、看護や介護の研究が、従来型の自然科学の方法論を超えて、研究者自身も含めた人間関係を中心に成り立っているんだということです。自然科学は再現性を求めるでしょう。でも患者さんとのつきあいはそのとき限り。誰かが真似しようと思ってもできるわけじゃない。そういった一回性の科学がナーシングなんですね。では今後、ロボットが患者さんとどのようにつきあってゆくか。きっとそこには、ロボットと患者さんという一対一の関係だけではなくて、たくさんの医療従事者の人生も含めた複雑な一回性のネットワークができてくるはずなんです。それはたぶん、これまでの自然科学では扱いきれなかった、21世紀の新しい科学のあり方を創造するような気がしています。ぼくがこういうと看護師さんたちはきょとんとするんですが、でも30年後には看護や介護がきっと科学の最先端になっていますよ。その最先端で働くロボットは、きっと総合科学の最先端でしょう。
高齢者はどんどん増えるのに、介護を担う若者が減り、人手不足になることから、フィリピンから介護士を受け入れるという国の方針も出されていますが。
少子化による大学冬の時代にも関わらず、医療系の大学は今もたくさん作られています。介護士や理学療法士の資格を取る人もたくさんおり、これからはむしろそういった人材がどんどん社会に出てくると思いますよ。資格を取って、人の役に立つ仕事に就けるというのは、若い人たちにとっても憧れであるはずです。
今後介護ロボットは、要介護者をモニタリング(見守り)するロボットルームや、要介護者の心のよりどころとしてのペット型ロボットなど、なんでもかんでもロボットにやらせるという幻想からロボットでしかできない領域に特化していくのではないかと思っています。そこから先があるとすれば、人の心のふれあいをサポートしてくれるロボットでしょう。
プライベートパイロットの話
アメリカで飛行機のパイロット資格を取ったとお聞きしましたが。
パイロットの免許をお持ちの中島秀之 (公立はこだて未来大学学長) さんから勧められて、2006年にアメリカに行って免許を取りました。
パイロット資格を取ったのは、フランスやモロッコを舞台にした1919年の飛行機乗りの小説を書くためなんです。実は1919年のフランスのことも飛行機乗りのこともよく知らないのに無謀にも2002年に小説を連載してしまいました。それはやはり今いち(笑)なのでまだ本にはなっていませんが。
免許を取った後、今年の3月に、小説の取材を兼ねてモロッコを訪れました。
砂漠地帯を飛んだのですか。
モロッコは砂漠の国だと想像していましたが、実際は農業国で、特に海岸地帯は緑がたくさんあって、大西洋は本当に青いし、アトラス山脈の上のほうは雪化粧で、雄大なパノラマ景色がすばらしかったですね。サン=テグジュペリが飛行したコースなど17.5時間ほど飛んできました。
免許取得の費用はどのくらいなのですか?
渡航費と滞在費を含めて170万円ほどです。 取得には7週間くらいかかりましたが、個人の趣味としてはそんなにべらぼうに高いわけではありません。
ロボットは本来そんなに真剣に付き合わなくてもいいはずで、マニアばかりがロボットを愛でなくてもいい時代が必ずやってくると思っています
アメリカの飛行機乗りの実情はどんな感じなのでしょう?
アメリカでホンダの技術者と知り合いました。
その方が言うには、「日本ではプライベート・パイロットの人口も、また飛行場も少ないから、飛行機というと何か特別なもの、リッチな人たちの娯楽だと思われがちだけど、アメリカの場合は、車で少し走れば次の飛行場があるくらいたくさんの飛行場があり、いろいろな人が飛行機に乗っている。
また飛行機の免許もいろいろなグレードがあって、プライベートパイロットより、もっと低いグレード、例えば自分の農場で農薬散布するためだけとか、自分の敷地の中だけ飛行機に乗るという免許もある。それは訓練を受けなくても取れるので、普通のおじさんが免許を持っていたりする。つまり飛行機に乗ることはそんなに特別なことではなく、しかも中古の小型飛行機であれば200万円くらいで買えてしまい、あとは月数万円のメンテナンス費さえあればいい。古いものでも大事に扱えば長く乗っていられるので、アメリカ人はプリミティブな機械をとても大事に扱っている」と。
多くの普通の人が飛行機に乗っているんですね。
「ところが、そんな航空大国アメリカでもまだまだうまくいっていないところがある」とホンダの技術者は言うんです。
「私たちは車を運転するとき、いちいちボンネットを開けてエンジンの具合を確かめたりしない。キーを回せばエンジンがかかるものだと信用している。でも飛行機の場合は、飛行場に行ったら必ず自分でエンジンの状態をチェックしなければならない。そういう決まりになっている。そのことが、飛行機乗りの人口がアメリカでさえ増えない要因になっている。現在でさえ飛行機に乗るにはエンジニアとしてのスキルが求められる。だからもっと信頼性の高い飛行機のエンジンを安く供給することで、普通の人が普通に飛行機を楽しめるようになるはずだ。そういうことができるようにすることがエンジニアの務めではないか」と。
飛行機は構えて乗る必要はないんです。車もマニアな人たちだけが乗っているわけではないでしょ。日本では飛行機に関する雑誌は少なく、とてもマニアックな内容だけど、アメリカでは車の雑誌同様に発刊数も多く、また内容も幅広い。
つまり飛行機に興味を持っている普通の人たちが多いということですね。
この飛行機の話は、実はロボットにも通用するのではないかと思っています。つまりロボットは本来そんなに真剣に付き合わなくてもいいはずで、マニアばかりがロボットを愛でなくてもいい時代が必ずやってくると思っています。
プライベートパイロットの免許を取ったことで、何かものごとの見方が変わったことはありますか?
それは「安全」に関する考え方ですね。自分の安全だけでなく、周りの人もいかに安全でいられるかをいつも考えること。それがパイロット試験にパスするためのひとつの指標にもなっています。安全というものを背負っているということを指導教官から徹底的に教わりました。飛行機は自分だけが乗るものではないという思想ですね。
「他の人にとっても安全」という考えは、車の免許取得のときに教えてもらった記憶がないので、強く印象に残りました。
飛行機乗りとしてのご予定はありますか?
ぼくが持っている免許は「有視界飛行」だけに限られていて、雨の日は飛べないんです。雲の中にも入ってはいけない。ホンダの人もいっていましたが、「晴航雨読」の免許なんです。
いま日本人でも退職後の楽しみとして、アメリカに行って航空免許を取得する人が増えてきているそうです。日本で飛行機に乗るためには、追加の試験にパスして免許を書き換える必要があるのですが、日本でわざわざ免許を書き換えなくても、ロサンゼルスあたりに行って、飛行機をレンタルして、温泉地に飛んでゆっくりしたほうがいいと思っている。アメリカには温泉地の隣に飛行場があるなんていうところもあるそうです。そのほうが趣味として堪能できる気がします。
これからの予定
6月 「瀬名秀明・大空の夢と大地の旅」 小説宝石7月号からエッセイ連載開始
8月 『決定新版ミトコンドリアと生きる(仮題)』新潮文庫
8月〜9月 「ワールドSFコンベンション」パシフィコ横浜
第一線で活躍するロボット・人工知能研究者を集めて、日本や世界のSF作家と討論する特別シンポジウムのコーディネートをします。一般の人も参加可能となる予定です。
近刊 『大空のドロテ』双葉社
先日、「日本のロボット学の父」と呼ばれた早稲田大学の故・加藤一郎先生の伝記絵本『ぼくたちのロボット』を出版して、ロボットの仕事はひと区切りついた感じがあります。
プライベート・パイロット免許の取得を通して空港管制官やパイロットの方たちとも知り合えたので、今後は航空システムを巡る小説も書けたらいいなと考えています。
また新たな領域が広がりそうですね。今後のご活躍を楽しみにしています。本日はお疲れのところ、ありがとうございました。
1968年、静岡県生まれ。東北大学大学院薬学研究科(博士課程)在学中の95年に『パラサイト・イヴ』で第2回日本ホラー小説大賞を受賞し、作家デビュー。『BRAIN VALLEY』で第19回日本SF大賞を受賞。ロボットに関する著作に『ロボット21世紀』、『ハル』『ロボット・オペラ』『岩波講座ロボット学1 ロボット学創成』(共著)など。現在、東北大学機械系特任教授。2006年にFAAプライベート・パイロット資格を取得。