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2007年8月14日(火曜日)

第四回 浦 環氏 (東京大学生産技術研究所 海中工学研究センター長)

そのダイナミックな発言と行動を通じて、我々のハートに火を灯す「ヒト」にフォーカスするインタビューシリーズ。
その第四回目にご登場いただくのは、水中ロボットの第一人者、浦 環(うら たまき)氏。
浦さんは、これまで数々の水中ロボットをひっさげて、インド洋や太平洋の深海、日本の湖沼を探査研究しています。それはまさに「冒険」という言葉がふさわしい心躍る挑戦の数々。また多忙な研究のかたわら20年に渡り高等海難審判庁参審委員として活躍する一面も。
そして今年1月、これまでの研究業績が評価され、IEEEのフェローに就任されました。そのフェロー就任記念講演会の前に、お話を伺うことができました。
(東京大学生産技術研究所 浦研究室に於いて  聞き手 ?ロボットメディア 小林賢一)

浦環水中ロボットを開発したいなら海に行かなければだめです。海に行こうという根性を出さないから、ちゃんとした水中ロボットができない。

浦先生の講演をお聴きするたび、今の日本にこんなにおもしろいことをされている研究者がいるのかと驚かされます。ロボット研究者にはおもしろい方が多いのですが、その中でも浦先生の研究は飛びぬけておもしろいと感じます。

僕の作っているロボットは冒険するロボット。陸上のロボットは冒険しない。周りで皆で監視していて、ちゃんと動いているか見ているわけだけど、海中ロボットは冒険するからおもしろいんだね。

他にも水中ロボットを研究されている方はたくさんおられますが、浦先生のロボットほど楽しさが感じられないのは何故でしょう。

それは、海に行かないからだよね。僕らが目指しているのは、プールで泳げるおもちゃのようなロボットではなく、海で活躍できるロボット。だから海に行かないとだめ。こんなおもしろいパフォーマンスができますといったって、「ああそう、でもそれがなんなの」って、それはおもちゃでしかない。日本の昔のお茶汲みロボットもあれはあれで楽しいけど、そこに踏みとどまってしまって、それから先に行っていない。
水中ロボットを開発したいなら海に行かなければだめです。海に行こうという根性を出さないから、ちゃんとした水中ロボットができない。実際、海に行くのはとても大変で僕も84年からロボットを作りはじめたけど、「プテロア150(PTEROA 150)」というロボットを海に連れて行ったのは90年。作りはじめてから6〜7年が経っていた。それはとても大変だったよ。

Tri-Dog1辰巳で行われた「水中ロボットコンベンション」で、先生が本当に楽しそうにTri-Dog1とプールに入っていたのを見て、とんでもない先生だな(笑)と感動したのですが。

自分で作ったロボットと一緒に泳げることは本当にうれしいよね(笑)。

でも、ロボットと一緒に泳ぐ人ってめったにいないですよね。

普段、そんなにおもしろいことがないからだよ(笑)

ロボット作りに興味を持つ子供たちは多いと思いますが、それが何をするためにやるのか目標や目的もなく、ただものづくりの楽しさとして行う場合が多い。先生のような水中ロボットを目指すことで新たな興味や広がりも出てくると思うのですが?

例えば、NHKのロボコンも機械を扱うことや総合教育としてはとても役に立つと思う。ロボットは楽しいし、遠隔操作も楽しいからそれはそれで大切だけど、ロボットの本質から離れているように感じる。ロボットはやはりロボットとして活躍してほしいと思っています。

海中を探査する一番の目的は何なのですか?

鉱物資源調査だね。例えば、西太平洋にある1000mくらいの海山の頂上(平頂海山)には、コバルトリッチクラストという鉱物資源があって、そこに白金とかコバルトとかニッケルがたくさん含まれている。現在、鉱物資源として期待されているものとしては熱水性鉱床、コバルトリッチクラスト、マンガン団塊があるけど、マンガン団塊はとても深いところにあって、採取することは難しいので、熱水性鉱床を盛んに調べようとしている。来年、明神礁に行くのもそれが目的です。
熱水性鉱床は今活動中のところもあるし、活動が止まってしまってその周りに鉱物資源があるところもある。

r2D4自律型海中ロボット「r2D4」は、その熱水地帯を集中的に観測できる知能ロボットとして開発され、これまで佐渡沖や相模湾などの日本近海、グアム島沖のマリアナトラフ(ロタ北西第一海底火山)や明神礁カルデラ(東京の南約400km)に潜航されていますが、最近の活動について教えてください。

昨年の12月にインド洋に行き、ロドリゲス島沖の中央海嶺で世界最大規模の溶岩平原と熱水活動を発見した。この探査で熱水性鉱床の可能性を突き止めたよ。
今年は7月に伊豆沖に行き、8月に鹿児島湾桜島の北側の海底、そして来年の3月にまた明神礁カルデラを観測することになっている。
r2D4はすでに完成している水中ロボットなので仕事があればどこにでも行くよ。

潜行のたびにソフトウェアは変えているのですか?

ソフトウェアは作戦に合わせていろいろ変えている。作戦を立てることがとても大切なんだ。例えば、子供を新宿のデパートに買い物に行かせる場合、駅ビルだとわかりやすいが小田急ハルクに行きなさいとなると道ひとつ超えないといけないので難しくなる。だから子供に小田急ハルクに行きなさいというときはそれなりに作戦を立てて、駅に着いたら、こうやって小田急ハルクに行きなさいということを指示する。そういうことがかさなっていき、だんだん難しいことがわかってくるということ。
最初はあまり流れがなくって平らなところに行ってたけど、今は3000m位の深海まで潜れるようになった。だんだんと難しいところに行けるようになるのはロボットの研究者からすればうれしいことです。

さまざまな深海で活躍するr2D4ですが、各種センサによるデータ以外、深海の写真がないのは何故ですか?

r2D4が撮影した水中写真はあまりない。というのはこのロボットは走り回ることを仕事としているから、Tri-Dog1や有索無人潜水機(ROV)が撮ってくるような迫力のある画は撮れない。r2D4のような航行型の自律型潜水機(AUV)はまだそこまで賢くないんだ。

生物を研究している科学者から深海の生物を採取してほしいという要望は強くあると思いますが。

r2D4では難しいが、今クラゲを採ってくるロボットを作っている。7000mくらいの生物を採ってくるロボットができればいいと思っている。そのうち採ってくるよ。

Tuna-sandもう少し詳しく教えてください。

沈没した船舶や航空機を調査する自律型水中ロボット「Tam-Egg2」の後継機として、「Tuna-sand」というロボットを作っている。8月にTri-Dog1とそれを持って鹿児島湾に潜ぐる。この子は、1500mの海底をROVのようにピンポイントで近づいて、接近して写真を撮り、サンプリングも採ってくることができるロボットなんだ。これから活躍するよ。

「ツナサンド」というのはまた面白い名前ですね。

浦研の水中ロボットの多くはTではじまる。「Tuna-sand」は、Terrain base Underwater Navigable AUV for Seafloor And Natural resources Developmentの頭文字。つけたのはいいけど長いので憶えられないよ(笑)

これまで様々な「冒険」をされてきて、当然成功もあれば失敗もあったと思います。琵琶湖で行方不明になった「淡深(たんたん)」は有名(笑)ですが…

r2D4は自律型水中ロボットなので、自分で海に潜って、自分で帰ってくる。これまで
こちらからコマンドを送って帰還させたのは、ロタ海底火山に潜ったときと、インド洋での二度だけ。それ以外は帰って来いと言っていない。それを大いなる喜び(笑)としているんだ。だけど、ロタのときは左側の尾翼が壊れてしまい、1000mくらいのところでぐるぐると変な動きをしていたので、恐らくこの動きからするとセンサが壊れたか、尾翼が壊れたかしているのだろうと推測して帰還命令を出した。昨年、インド洋ロドリゲス島沖に行ったとき、ちょっと計画が間違って岩にボーンとぶつかってしまった。どうやら曲がったときに急に目の前に崖があって避けきれずにどーんと当たってしまったようなんだ。本来は崖からもう少し離れたところで曲がるはずだったのが、進路が少しずれたために早めに曲がってしまった。
ぶつかったことは上から見ていて推測できたので、コマンドを送って帰還させた。調べてみたら頭に岩の破片が突き刺さっているし、頭のフックはひん曲がっているし、ひどい状態だった。崖をぐりぐりと押し続けていたんだな。もう少し崖の下にもぐりこんでいたらダメだった(笑)。今頃こんなところで笑っていられなかったよ。保険金で新しいロボットを必死に作っていたな。ちょっと運が良かった。

保険金をかけているんですね。

全損か行方不明の場合のみの保険をかけている。ソフトウェアはコンピュータに入っているからいいけど、ハード部分は作り直さないといけないからね。でもTri-Dog1はダメだったら仕方ないと保険はかけていない。

NHKの「サイエンスゼロ」(07年7月7日放送)に出演された際、「研究者一人に一台のロボット」ということを述べられていましたが。

僕らが思っているのは大型の水中ロボットではなく、小回りの利くロボット。サイエンスの研究者たちはいろいろ自分たちがやりたい研究があるから、戦艦大和のようなロボットを作ってオールインワンでみんなに何かをやらせるというのではなく、必要なら研究者に一台のロボットというふうにもっていかないといけない。実際、大きいロボットは海に下ろしにくいし、壊れやすい。また一人の研究者が潜水船を借り切ってやるのでは話にならない。そうではなく、小型軽量でそれぞれの研究者が自分のロボットをぼーんと海に放り込んで観測でき、みんなが別々に同時に研究できる水中ロボットにならないとだめだ。各自が自動車を一台ずつ持っているようにね。
役人は大きなロボットを作るといえば予算がつき、小さいのは民間が作ればいいじゃないかと思っているが、自動車が一人一台になってきているように、水中ロボットも研究者一人に一台持てるようにしていかなければならないと思う。

海洋にはそれこそいろいろな海があり、4〜5000年の歴史もあるので、一筋縄ではいかない。

海洋基本法が7月20日に施行されました。長年、この問題に関わってきたお立場から今後の海を巡る状況をどのように見ていますか?

これまで湯原先生が中心になって「海洋技術フォーラム」を組織し、いろいろな提案してきた。とにかく海というものに国の予算をたくさん投資して、それで新しいプロジェクトを作って、産業を興していかなければならないと訴えてきた。
例えば先日の新潟県中越沖地震で柏崎の原発もその沖に断層があるか海の中を充分に調べることができなくて、ああいうことになったけど、海の中だからよく調べられないという理由で放ったらかしになっているところが日本全国にたくさんある。
海底断層をちゃんと調べれば、原子力発電所の建設費は上がるかもしれないけど、安全性は増す。調査費用は原発全体の予算からすればたいした額ではないのだからもっとやればいいじゃないかと思う。政府が調べろといえばそれが産業になっていくわけだ。原発だけでなく、コバルトリッチクラストも国がどんどんとやるべきだ。国がやってくれればロボットも動員されるだろうし、海中技術も発展していって、学生たちも興味を持つようになる。なので、海洋基本法には期待している。
ちなみに僕は政府の統合海洋政策本部の参与会議メンバーとして、内閣総理大臣に直接ものが言える立場。海洋の産業、海洋基礎技術、ロボット技術、センシング技術など、どんどん意見を述べていきたいと思っている。

宇宙に関しても現在、「宇宙基本法」が審議されています。エネルギー資源の確保という観点から、今後、宇宙と海洋はセットで考えていくことになりますか?

フロンティアということでは似ているのだけど、宇宙と海洋はぜんぜん違う。
宇宙は、例えば地球外生命探査にしても、ロケット、衛星という1本の大きな柱があるのだだけど、海洋の場合は、地震がどうだ、コバルトリッチクラストがどうだとか、うなぎがどうだとか、いろいろあって、うなぎばっかりやっていると船が足りないから、じゃぁコバルトリッチはどうなるのだとか、あいつが船を使っているから俺たちが仕事できないとか、漁業の人たちはこんなところで勝手に観測してはいけないとか、なんだかたいへんなんだ。海洋には4〜5000年の歴史もあるので、それこそいろいろな海があり、一筋縄ではいかない。
宇宙とは行政の仕組み、産業の仕組み、社会背景がぜんぜん違う。

「宇宙と海洋をセットで」とお聞きしたのは、将来、地球外惑星探査で水中ロボットが活躍することもあるのではと思ったからです。惑星探査でNASAから協力の依頼はないのですか?

残念なことにそういう依頼の話はないよ(笑)。NASAはNASAで海中ロボットを研究するグループを持っていて、自分たちの技術があるからね。JAXAからも話はこない。宇宙はとても時間がかかるし、大変ではあるけど。

今日はこの後、IEEE フェロー就任の記念講演がありますが、これはどのようなものなのでしょうか?

IEEEというのは、the Institute of Electrical and Electronics Engineers の略で、アメリカに本部がある世界最大の電気・電子関係の技術者組織。会員数は約37万人(日本関係者1万3千人)で、その中で海に関係しているOES(Ocean Engineering Society)会員が約1600人 (日本関係者69人) いる。会員構成は一般会員、シニア会員、フェローとなっていて、フェローの数は全体の0.1%、コンピュータから通信まで1年間に日本の会員では20人くらいがフェローになれる。今年は私を含め、18人の日本人がIEEEフェローになった。現在、IEEEのフェローは約5900人(1.6%)でOES内のIEEEフェローは78人(4.8%)。
フェローに選ばれるのはその分野で業績のある専門家なので、海外から「この人は偉い(笑)」と学者として一人前に認めてもらえたということ。特に造船分野からただひとり選ばれたのがうれしいね。私は、日本船舶海洋工学会の功労委員でもあるのだが、なんとか委員会を何年やって、その委員長を何年かやると功労委員になれるけど、それは決して学問業績ではない。学会のためにどれだけ働いたかが評価基準なんだ。働いたことはそれでいいのだけど、やはり学問業績で認められたほうがずっとうれしいよね。

本日は講演前のお忙しい中、お話をしていただきありがとうございました。


この後、浦さんは「海が茶の間にやってくる工夫」と題し、記念講演を行った。 

「原子力や宇宙関連の国の予算は、それぞれ3000億円ある。海洋は600億円である。これを原子力や宇宙予算なみの3000億円にしたい」と切り出し、海洋基本法施行の追い風を受けて、統合海洋政策本部の参与会議メンバーとして実現に向け努力したいと述べた。
そして、そのためには国民にもっと海を身近に感じてもらうアウトリーチ活動が重要で、
「スタティック(静的)な海の情報、写真ではなく、ダイナミックな海の情報・映像をお茶の間に届けたい。そのためには、海の上でどこでもブロードバンド(OCEAN BB)ができるよう環境を整備する必要がある。独自の通信衛星の開発、打ち上げ、運用を目指したい」と語った。
OCEAN BBが実現すれば、お茶の間に居ながら、「大海原に昇る朝日や夕日を見たり、入港する船のブリッジから港や陸地を見たり、逆巻く荒海を見て気持ち悪くなり(笑)、神秘の海底をリアルタイムで目のあたりすることができる」と述べ、浦研のホームページで展開している「海の音を聞こうプログラム」を紹介した。

今後の予定

8月 鹿児島湾桜島の北側の海底(通称 : たぎり) Tuna-sandの初潜行。Tri-Dog1と共に熱水が湧き出ている海底でサツマハオリムシなどを観測。
11月及び08年2月 インド・ガンジス川でのカワイルカの生息観測。
08年3月 明神礁カルデラでの鉱物資源観測。
その他、沖縄・与那国島「第4与那国海底火山」調査。豊橋沖のケーブルにつながっているステーション付近の観測。

浦 環氏
1948年生まれ。東京大学工学系大学院船舶工学専攻修了。工学博士。東京大学生産技術研究所教授。現在、同付属海中工学研究センター長。日本造船学会賞(1979年、1994年、1997年)、日本機械学会技術賞(1999年)ほか受賞多数。2007年1月、IEEE Fellow就任。

2007年7月24日(火曜日)

第三回 富山健氏 (千葉工業大学未来ロボティクス学科教授)

そのダイナミックな発言と行動を通じて、人々のハートに火を灯す「人」にフォーカスするインタビューシリーズの三回目。
今回ご登場いただくのは、感性ロボティクスの第一人者であり、ロボットがあたかも感情を持っているかのように感じる仕組み「擬似感性」の産みの親でもある千葉工業大学教授の富山健氏。
富山氏は16年に及ぶ米国でのシステムサイエンス(応用数学)の研究活動の後、現在、超高齢化が進む日本で「擬似感性」を使った福祉ロボット、特に介護者支援ロボットの開発に力を入れています。介護・福祉分野でのロボットの役割などを中心にお話を伺いました。
(千葉工業大学に於いて  聞き手 ?ロボットメディア 小林賢一)

富山健氏今後は日本のロボットも単なるロボットではなく、日本ならではの感性が感じられるロボットが作られるようになるのではないでしょうか。

はじめからロボットを中心に研究をされていたのですか。

もともとの専門はシステムサイエンスです。モノをシステムとして捉え、そのシステムを我々が望むように動かすためにはどういうものがいいのかを数学の手法を使って解く応用数学の分野の学問で、例えば最適投資論、大気のモデリング、ミサイル探知機ソフトウェア、鶏の健康管理などいろいろやりました。
ロボットを作る際もロボットの目的、システムとして何をやらなければならないのか、そういうことをまず考えます。

現在、感性ロボティクスを研究されているわけですが、そのきっかけは何だったのでしょうか。

からくり人形が日本のロボットのルーツだとよく言われますが、日本のロボットの起源は実は平安時代にまでさかのぼると思っています。「式神 (しきがみ)」って知っていますか。陰陽師の安倍清明(あべのせいめい)は、紙を人型に切り取ってそれに息を吹きかけ、まるで人間のように操ったといいます、まさにあれはロボットですね。無生物に生命を吹き込んで生物にするということは感性の面からみてもすごくおもしろいと思いました。
日本においては感性とロボットというのは、本当に昔から一緒だったのですね。もちろん、そういうことを知って感性ロボティクスを始めたわけではありませんが、「ロボットに感性を」というところからはじめるといろいろなことが見えてくるようになりました。

経済産業省も今年、「感性価値」(生活者の感性に働きかけて共感・感動を得られる商品・サービス)に着目した、「感性価値創造イニシアティブ」を提唱していますね。

日本の感性は商品化にものすごい影響力を持っています。それは日本の商品の強みだし、ロボットに関してもそれはいえるのではないかと思います。今後は日本のロボットも単なるロボットではなく、日本ならではの感性が感じられるロボットが作られるようになるのではないでしょうか。

現在、日本で感性ロボティクスを研究されている研究者はどれくらいいるのですか。

日本ロボット学会の中で「感性」ということが注目されはじめたのは、だいたい5〜6年前からです。決してマイナーではありません。これまで工場の中にいたロボットが工場から出てわれわれの回りに存在するようになると、ただの物理的なインタラクションではだめで、そこに「感性」が求められるようになってきた。人間の隣にロボットを作りたいということであれば、今はどんなロボット研究者も「感性」ということを無視できません。一部の人が考えているというより、皆そのことはわかっています。ただし、そこを自分の分野だと定めてやっている人は、日本感性工学会の感性ロボティクス部会でも30名くらいではないでしょうか。  

大切なことは、本当に我々は第二の人間を作りたいのかということです。第二の人間を作ると必ず競争原理が生じます。競争して第一の人間が負けちゃっていいんですかと。

先生が命名された「擬似感性」(Virtual KANSEI)という言葉を最初に聞いたとき、とてもうまい表現だなと思いました。

こういう研究ってなにかひとつバシッと決まるキーワード、フォーカスポイントがあるととてもいいんですね。Virtual KANSEIという言葉が出てきた時点でこの研究は決まったとも思いました(笑)。
結局感じるのは人間であってロボットではないわけですから、それをうまくあらわす言葉としての「擬似感性」。ロボットの仕草を人が見たときに、こいつは悲しんでいるのかなと感じられるフリができればいいと思っています。

機械が感じるのではなく、人間が感じるというところがポイントですね。ロボット自身がいろいろなことを感じて行動すると一般的には考える傾向がありますが、そうではないということですね。

大切なことは、本当に我々は第二の人間を作りたいのかということです。第二の人間を作ると必ず競争原理が生じます。競争して第一の人間が負けちゃっていいんですかと。それでは映画「ターミネーター」の世界です。第二の人間を作りたいのか否かということがロボット研究者にとって一番の倫理点じゃないかと思います。

今でもやっちゃいけないと言ったって、クローン人間を作ろうとする人間はいるわけで、「意思」を持つロボットを作ってはいけないと言っても、そういうものを作る研究者は必ず現れます。

「擬似感性」が軍事に転用される可能性はないのでしょうか。

アメリカに居たころに軍事関連の研究所で働いていたことがありますが、かれらは本気になってやりますよ。湯水のごとくお金を使って。筑波大学の山海先生が開発した「HAL」のようなハードウエアのミリタリーバーションもすでにできていると思います。怖い話です。
そういうこともあって学生たちには、「やっぱりガンダムではないでしょ、ガンダムは兵器だよ」といったブレインストーミングを行っています。それでどういうロボットが作りたいのか、どこまでのロボットを作りたいのか、学生たちに考えるよう指導しています。
そのとき私がよく使う言葉は、「知・情・意」ですね。
「知能」は現在研究が進んでいます。また「感情」の研究はまだはじまったばかり。そしてその先にある「意志」ということを今後どうするのか、それはロボット研究の究極のテーマですからね。ロボットが「自分で意思を持った」時点でそれは第二の人間になってしまう。つまりロボットが「意思」を持つことが第二の人間を作るかどうかの分かれ目だと思っています。私はロボットに「意思」は作り込みません。ロボットは「便利で賢い道具」であって、それ以上でもそれ以下でもない。それ以下だと使えないし、それ以上だと人間が居なくなる恐れがありますから。

しかし、将来ロボットが「意思」を持つ可能性はあるのではないでしょうか。

今でもやっちゃいけないと言ったって、クローン人間を作ろうとする人間はいるわけで、「意思」を持つロボットを作ってはいけないと言っても、そういうものを作る研究者は必ず現れます。でも私はそんな研究者にはなりたくありません。学生たちにも「意思」を持つロボットは作ってはいけないと教えています。
しかし、「生存のための意思」ということを考えるとこれは結構微妙な問題になります。というのはロボットが自分の電池が足りなくなってきたときに自動的に充電する機能というのは、一般的にはロボットが自分の機能を持続させるためのひとつの機能と考えますが、別の見方をすれば「生存の意思」を持っているともとれるわけです。だからロボットが「意思」を持っているか否かの境界というのは、それほどはっきりとはしていない。「情」と「意」の区別はなかなかつけにくいのです。
例えばロボットが怒った(情)場合、ロボットはどう行動(意)するのか。ロボットに「意思」がなければロボットがいくら怒っていようと関係ないわけですが、ロボットに「意思」があると、人間に直接危害(暴力)を与える可能性があるので、大変な脅威になります。
しかし、どこまでを良しとしてどこまでを良しとしないのかは1回くらい議論して済むということではありません。どっちか白黒つけておしまいにしがちだけど、事例をひとつひとつきっちり議論していかないといけない。ロボット技術者は常にそういうことを考えながらロボットを作っていく必要があると思いますね。

「擬似感性」のあるロボットはどんな点が難しいのでしょうか。

「表出感情」をどう作りこむかが一番の問題です。「表出感情」というのは、ロボットが何かを選んだときにそれをどう表現し、どういう行動や動作として表すのかということです。例えば、ロボットが人に水を与えるという行動は、水が入ったコップかペットボトルを相手に渡すということですが、ペットボトルをどう渡すのか、渡すという行為にどう変化をつけていくのか、それが「擬似感性」です。
人間の行動を表すキーワードをひとつ挙げるとするとそれは「バラエティ」になります。人間は実にいろいろな仕草、いろいろなやり方を通して自分がどうしてほしいかを表現し、相手に伝えています。だからロボットの表情や動作がいつも同じ反応で「バラエティ」に乏しいと、すぐに飽きられてしまいます。飽きられるロボットは使われません。飽きられず、どうやってバリエーションをつけるのか。
実際の動きに直結したパラメータのAMP(Action Modulation Parameter)を使って、「擬似感性」から作られてきた感情を使って動作を作り変えることができることは理論的にわかっているのですが、まだ外装までつけて完成した躯体がないので本格的には取り組めないでいます。ロボットの場合、シミュレーション上ではなんでもできるけど、実機でやってみるとまるっきり違う場合が多いので、早く実機で試してみたいと思っています。

機械というのは目的がきちっと定義されていて、それ用に特化されたものが美しいし、きちんとした仕事をする。

先生は青山学院時代から福祉介護に役立つロボットの研究をされてきたわけですが、介護者支援ロボット「HAJIME-CHAN」についてお聞かせいただけますか。

「HAJIME-CHAN」は介護者の実作業の代理、コミュニケーションと物理動作(水分補給など)ができるロボットとして、2003年度に設計・加工・組み立て・プログラムを行いました。その後、改良点を洗い出して、2005年度にハンドの追加と行動実験をしました。
ロボットというと、どうしてもあれもこれもということを思いがちですが、そういう「万能マシン」を作ると絶対にうまくいかない。機械というのは目的がきちっと定義されていて、それ用に特化されたものが美しいし、きちんとした仕事をする。万能マシンとしてのロボットというのは機械的に見ると機械の定義に反している場合が多いし、実はそういうものは機械ではないともいえるのです。
だから機能を絞らないといけない。介護者が居ないときに、その間を埋めるロボットというのが「HAJIME-CHAN」のコンセプト。なので、介護者が居ないときにロボットができないといけない機能をはじめにダァーと挙げました。やりたいことはあれもこれもとたくさんありましたが、拡げすぎると使い物にならないし、価格も自動車1台分よりは安いものでなければなりません。そう考えていくと基本的にできなくてはいけないことが絞られてきます。それは「水や薬の管理、ドアやカーテンの開け閉め、テレビをつけたり消したり、そして必要なときに介護士を呼ぶ」などといった日常のちょっとした物理的動作ができるロボットであり、また被介護者がどういうコンデションでいたかをきちんと記録し、介護士に伝える「申し送り」ができるロボットです。人間と人間との「申し送り」は不完全ですが、ロボットならデータを無線でパソコンに飛ばし、データを蓄積していくことができますし、ロボット同士の連携も簡単にできます。つまりロボットは「介護者支援システム」の端末のような働きをするわけです。
もちろん部屋の中にセンサーをいくつも埋めて被介護者の状況を把握するということもできますが、始終見張られているようでそんなの嫌だと思う人も居るでしょう。ロボットならあっち向いていろ(笑)といえばいいわけです。もちろんあっち向いていても部屋全部が見えるロボットもあるけど、、、要は主導権が誰にあるかということがポイントであって、ロボットはあくまでツール(道具)として活用するということですね。

お世話されることに気兼ねするお年寄りも多いわけですから、気軽に頼めるというのはロボットのいいところだと思います。

2007年に65歳以上の高齢者の人口比率が21%を超え、日本は超高齢社会に突入しました。いよいよ切実な問題になってきましたね。

本当に早くしないと間に合わない。五人に一人がお年寄りになってしまったわけですから。自分もそろそろその年齢に近づいているのであせってはいるんです(笑)。間に合わないんじゃないかと。ハードウェアで擬似感性を作ることは割合楽なのですが、保険会社がOKするような安全性を作りこむことが難しい。例えば目いっぱい動き続けたロボットが、動けなくなる前に自分で充電する、そういう技術もしっかり確立しなければなりません。

10年後には認知症患者が270万人を超えるとも言われています。例えば認知症の予防や改善に効果をあげている「回想法」をロボットができるようになるのでしょうか。

認知症患者の人生をしっかり聞いて受け止める「回想法」をロボットができるようになるといいと思いますが、まずは現場の方が何を望んでいるのかをもっと知る必要があります。
現場の人たちは「今抱えている問題をどうするか」ということで手一杯なので、介護者支援ロボットが出来てちょっとした仕事をしてくれるだけで、介護者に余裕ができ、被介護者とのコミュニケーションがもっとできるようになると思うんです。
後は専用機の開発ですね。例えばお風呂に入れてくれるロボットとか、排便を処理してくれるロボットとか。ロボットなら臭いを感じないからいいという方もいます。つまり人間じゃない部分、ツールとしての良さ。お世話されることに気兼ねするお年寄りも多いわけですから、気軽に頼めるというのはロボットのいいところだと思います。ロボットの良い面はどんどん強調すべきですね。

「擬似感性」を作ってそこに「適応力」を叩き込むというのではなく、「適応力」のあるロボットを使って、「擬似感性」を作っていく。

現在、ロボット開発は進められているのですか。

学科長の中野先生や米田先生などと協力して学科のロボット、そのキーワードは福祉分野のロボットですが、そのプロジェクトをはじめたいと思っています。幸いこの学科はハードウエアの専門家がたくさんいるので躯体は専門家にまかせて、私は擬似感性という形而上の問題に集中して、どういう機能を取り組めばいいかに専念する事ができるというおいしいところがあります。

その場合のロボットのカタチはどのようなものになるのでしょう。

「HAJIME-CHAN」を発展させたカタチになると思います。まったく人と同じようなヒューマノイドを作ろうとは思っていませんが、最低限、このロボットは感情を持っていると感じてもらえ、人が違和感を覚えないカタチである必要があります。
ちなみに「HAJIME-CHAN」が二足歩行ではないのは、安定性の問題であり、腕が長いのは床に落ちたモノを拾うためです。
もうひとつ根本的にロボットが持っていなければならない機能というのは「適応力」です。それは面倒をみている人にロボットが合わせていく能力のことです。介護現場などでロボットが役に立つためには「適応力」が絶対に必要です。それはロボットの値段にも関わります。それぞれの人に対してオーダーメイドで作っていたのではめちゃくちゃ高いロボットになってしまう。ですのでベースとなる標準タイプを作り、そのロボットに人にあわせる適応力を作りこんでいければ同じタイプのロボットを量産することができますので、価格も下がっていきます。

「適応力」というのは、学習していくということですね。

そうなのですが、学習という言葉を使いたくないのは、学習というレベルで済むかどうかまだわからないからです。いわゆる普通の学習的アルゴリズムの枠で留めたくないと思っています。

そうすると先生が目指しているは、「擬似感性を持ちながら、人に合わせていく能力を持ったロボット」ということになりますか?

「適応力」はロボットの鍵だと言ってもいいくらい重要です。「適応力」のあるロボットを作るのは非常に難しいのですが、それができなければ話にならないので、難しいなどとは言っていられません。
「擬似感性」を作ってそこに「適応力」を叩き込むというのではなく、「適応力」のあるロボットを使って、「擬似感性」を作っていく。「擬似感性」の仕組みそのものが人に合わせていける仕組み(適応力)になっていなければなりません。

感性も行動の中に現れるものであって、感性として別に存在するものではない。知能にも感性にも身体性というものが絶対に必要なんです。

それは人工知能とは違うものなのですか。

まったく違いますね。人工知能というのは三段論法が利く、ロジカルなものです。だけど「擬似感性」の場合はそうではない。例えば、悲しいときに楽しいことがあったとしてもいきなり全てが楽しくなるわけではありません。同じ刺激に対しても違うレスポンスがでてくる。一筋縄ではいきません。「感情表出」はロジックではないので三段論法が成り立たないのです。「擬似感性」というのはそういう「感情表出」ができる仕組みなのであって、人工知能とは違うわけです。
20世紀後半に一生懸命人工知能を作ろうとして出来なかった反省として、「知能というのは行動の中にある」という考えが出てきました。いくら知能があっても何もできなかったら、仕方がない。行動というものをどう起こすかというところに知能は現れる。そう考えると感性もそうじゃないのか。感性も結局は行動の中で読み取っている。感性も行動の中に現れるものであって、感性として別に存在するものではない。知能にも感性にも身体性というものが絶対に必要なんです。これは「擬似感性」の考え方とすごく合う。「擬似感性」というのは、我々がロボットの行動を見てどう感じるか、ですよね。つまり行動の中でしかありえないもの。そういう意味で知能と感性というものは、出所は違うかもしれないけど結果的には同じようなことになっていくのかなと思います。

「擬似感性」の研究分野に是非女性が進出してほしいですね。

まったくその通りです!  この学科(未来ロボティクス)でも女子学生獲得大作戦をやろうとしています(笑)。
どうしてもロボットというと昔は鉄腕アトム、その後にガンダム、パトレイバー、マジンガーZと、皆兵器ですよね。そうではなくて「ドラえもん」のほうで行こうよ(笑)ということです。でもロボットは確かに難しいんです。やっぱりメカやプログラムがきちっと動かないといけない、その上での「感性」という話ですから。理論だなんだかんだ言っているとそこにたどり着くまでに疲れてしまう(笑)。この学科は教え方やカリキュラムが他の大学と違って「習うより、慣れろ」なんです。1年次から基板のハンダづけからはじめて、パーツは秋葉原ツアーで買って、まずは理論なしで自分のコンピュータを作らせてしまう。そして、君たちはそこまでしかできないけれど理論がわかっていればここまでできるよと教えています。これにより学生には理論に対する飢餓感が芽生えるのでちゃんと習うようになる。
やる気のある学生は1年生の時から学生プロジェクトを立ち上げています。今は「福祉ロボティクス」と「鬱セラピーロボット」のプロジェクトが動きはじめています。「感性」に関してもすごく興味をもつ学生が多いので、その分、学生とのコンタクトアワーが非常に長い(笑)というのがもっかのうれしい悩みです。

ロボティクスを学ぶ女子学生が増えることを期待しています。本日は楽しいお話、ありがとうございました。


今後の予定

8月1〜3日 日本感性工学会の大会が新宿の工学院大学であり、オーガナイズド・セッション「感性価値を創造するロボット: ZMP社miuroの事例を中心として」を主催すると共に、パネルディスカッション「今再び、感性を考える」のパネラーとして参加します。
9月13〜15日 日本ロボット学会が千葉工業大学を会場に行われますが、その副実行委員長を務めています。また、二つのオーガナイズド・セッション「ロボティクスにおける感性工学の役割」および「感性ロボティクス」を主催します。
10月10〜12日 The International Conference on Kansei Engineering and Emotion Research 2007 (KEER2007) が札幌で行われ、実行委員として参加すると共に、HMMを用いた擬似感性の構成法について発表する予定です。

富山健氏プロフィール
1971年、東京工業大学工学部を卒業。同大学制御工学科助手を経て、カリフォルニア大学ロスアンゼルス校システムサイエンス学科にて博士課程を修了後、テキサス大学助教授、ペンシルベニア州立大学助教授などを務める。米国滞在中、アメリカ空軍、陸軍、AT&T社等から研究プロジェクト資金を提供される。1988年帰国。青山学院大学理工学部機械工学科教授を経て、2006年4月より千葉工業大学未来ロボティクス学科教授。日本感性工学会理事、等。

2007年6月26日(火曜日)

第二回 瀬名秀明氏 (作家 / 東北大学機械系特任教授)

そのダイナミックな発言と行動を通じて、人々のハートに火を灯す「人」にフォーカスするインタビューシリーズの二回目。
今回ご登場いただくのは、作家であり、現在、東北大学の特任教授も勤める瀬名秀明氏。
瀬名さんは科学に関する小説を執筆する一方、99年からロボット研究者や脳科学者への取材を通して、日本のロボットの現状と将来の行方を小説やノンフィクションという形で発表してきました。
また2006年にはアメリカでプライベート・パイロットの資格をとり、今後は飛行機に関する分野にも挑戦していくといいます。
そんな新たな題材に挑戦しはじめた瀬名さんに、6月に開かれた「オープンハウス2007」(国立情報学研究所)の講演の後、お話をお伺いしました。
(学術総合センターに於いて  聞き手 ?ロボットメディア 小林賢一)

瀬名秀明ロボットを通して人とロボットはどうなるか、ロボットを通して人間らしさはどこまでわかるのか、そういうことのほうに興味がありましたね

瀬名さんの作品にはロボット、脳科学、生物、そして多くの科学に関する小説やノンフィクションがありますが、作品を書く前に自分の中に、あるテーマがあってそれに基づいて書いているのですか、それともその時々の関心のある事柄について書いているのですか。

ロボットについて書くようになったのは、実はまったくのなりゆきです。「文藝春秋」という雑誌の編集部からロボットの記事を書いてみないかと言われ、1999年にロボット研究者に取材したのが始まりですね。
ミトコンドリアといった細胞小器官の働きや、がんのメカニズムなど、細胞生物学がもともと好きだったので、たぶん昔から生命と機械の境界みたいなところに興味があったんでしょう。生命も突き詰めていけば機械的な動きが見えてくるし、人間の社会構造だってそうです。小さな分子の働きはナノテクとも直結します。最近、レイ・カーツワイルという発明家がGNR革命ということをいっていて、遺伝子工学とナノテクとロボットが融合して人間のアイデンティティを変化させ、社会構造にものすごく影響を与えていくだろうと予測を立てていますが、生命と機械が渾然一体となってゆくような状況は10年くらい前から漠然と自分も思っていて、小説の中にもよく書いてきたんです。
実際、ミントコンドリアが出てくる『パラサイト・イヴ』は、細胞小器官がエネルギーのエンジンであることに着目したホラー小説ですし、『BRAIN VALLEY』では脳科学と情報科学が主体となっています。ナノテクと生命起源をテーマにした「ダイヤモンド・シーカーズ」という小説も地方の新聞に連載したことがあります。
だからロボットの取材も、最初は「生命」とのつながりで考え始めたんです。機械工学の細かい話よりも、ヒトとロボットのコミュニケーションや、ロボットを通してヒトとロボットはどうなるか、ロボットを通して人間らしさはどこまでわかるのか、そういうことのほうに興味がありましたね。
ロボットをやって、ミトコンドリアをやってというと離れた分野を扱っている印象を持たれるかもしれませんが、自分の中ではそんなに離れているわけではないんです。

ロボットをテーマとしてやってこられた経緯をもう少しお話いただけますか。

1999年頃から取材をはじめ、その後、大阪大学の先生や東京大学の先生たちと親しくなったのですが、一緒に研究まで始めるようになったのは「社会的知能発生学研究会」に入ってからですね。東大の國吉康夫先生からその研究会で講演を頼まれたのがきっかけです。ここのメンバーとは年に2回ほど合宿をやって、ロボットだけではなくて人間の知能についてとことん語り合うんです。それが『知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦』や『境界知のダイナミズム』といったノンフィクション、さらには『デカルトの密室』『第九の日』というロボット小説のシリーズにつながっています。

その後ずっと日本のロボットの最前線を取材されてこられたわけですが、今後のロボットの動向については、どのように見られていますか?

2003年、つまりアトムの誕生日前くらいまでは、まだまだロボットはプリミティブな存在なのだけどいろいろな可能性があると考えられていた時期だったと思います。
学術的にもすごいおもしろいことをやっていて、それが社会さえ変えるのではないかという期待感が研究者にもあった気がします。
だけど、その後は雰囲気が変わってきた。Robo-Oneに出場するロボットは、よく動くし楽しいですけれど、ホビーの一環ですよね。人間社会に役に立つということではない。一方、役立つロボットを目指していたはずの大学の研究は、ちょっと停滞しているように見えてきた。産業界はどうかというと、やはり家庭に入るロボットは思ったほど進歩していないし、安くもならない。産業レベルの現実と大学の研究者の理想論とが乖離してきて、行き先が見えにくくなってきたのがたぶん2003年から2005年のあたり。そのため2005年の愛知万博で国がロボットの将来ビジョンを見せようとしたわけですけれど、まだ市場にすんなりつながるまでは至っていない、ということだろうと思います。でも企業は少しずつ小さなヒットを出すようになってきた。数億円の規模ですけれど、ビジネスとして成り立つものがぽつぽつと見えてきた。それはみんなが憧れていたヒト型ロボットではないけれど、それでも一歩踏み出しつつある。現状はそんな感じではないでしょうか。

小説で描かれるロボットについても何か変化はありましたか?

ぼくがロボット小説を書き始めた頃は、SF作家の間でもロボットという題材はアウト・オブ・デイトで、ほとんど小説の題材としては取り上げられていなかったと思います。アニメの世界で描かれていた程度でしょう。『鉄腕アトム』や『鉄人28号』をなんとか復活させようという動きもありましたが、不発に終わっています。でも最近は『PLUTO』などがヒットして、それまではロボット小説は時代遅れ、今さらロボットなんてと思われていたのが一回転して、古い器を新しくモデファイして見せ直す土壌が育ってきて、エンターテインメントとして認知されるようになってきたと思います。そこで描かれているロボットは決して革新的なわけではなく、最新のロボット学の成果を取り込んでいるわけではない。その意味で、ここ10年のロボット学は、物語作家にしっかりした影響を与えられなかったのかもしれない。でも最近のロボットものは古くからの問題意識を新しい器で出すことで、普遍的なテーマを読者に改めて伝えることに成功するようになってきたのではないかと思いますね。

介護や看護や理学療法士の視点からロボットを見直すことで、介護や看護のサイエンスのあり方そのものが変わる可能性がある気がします

ロボットが家庭や職場で活躍する上でのポイントは何でしょう?

やはり安全面が大変重要なのだと思います。最近は一般の人が「そのロボットって本当に安全なのか」とちゃんと疑問として発せられるようになってきました。それまでは「ASIMOかわいい」というところで思考停止していたのだけど、実際に家庭にロボットが入ってくるということが現実化してくると、ロボットは本当に安全なんですか、危害を加えませんかということを一般の人が気にするようになってきた。それはとてもよいことだと思うんですね。研究者も安全面が自分のロボットの評価基準になるということがわかってきた。

超高齢化社会を迎え、介護分野での機械化は必須と思われます。しかし、長いこと研究されてきたにもかかわらずなかなか実用化されないのはなぜだとお考えですか?

以前、大学の看護学部に勤めていたことがあって、いまも当時の学生たちとは交流があります。そこで改めて思うのは、看護や介護の研究が、従来型の自然科学の方法論を超えて、研究者自身も含めた人間関係を中心に成り立っているんだということです。自然科学は再現性を求めるでしょう。でも患者さんとのつきあいはそのとき限り。誰かが真似しようと思ってもできるわけじゃない。そういった一回性の科学がナーシングなんですね。では今後、ロボットが患者さんとどのようにつきあってゆくか。きっとそこには、ロボットと患者さんという一対一の関係だけではなくて、たくさんの医療従事者の人生も含めた複雑な一回性のネットワークができてくるはずなんです。それはたぶん、これまでの自然科学では扱いきれなかった、21世紀の新しい科学のあり方を創造するような気がしています。ぼくがこういうと看護師さんたちはきょとんとするんですが、でも30年後には看護や介護がきっと科学の最先端になっていますよ。その最先端で働くロボットは、きっと総合科学の最先端でしょう。

高齢者はどんどん増えるのに、介護を担う若者が減り、人手不足になることから、フィリピンから介護士を受け入れるという国の方針も出されていますが。

少子化による大学冬の時代にも関わらず、医療系の大学は今もたくさん作られています。介護士や理学療法士の資格を取る人もたくさんおり、これからはむしろそういった人材がどんどん社会に出てくると思いますよ。資格を取って、人の役に立つ仕事に就けるというのは、若い人たちにとっても憧れであるはずです。
今後介護ロボットは、要介護者をモニタリング(見守り)するロボットルームや、要介護者の心のよりどころとしてのペット型ロボットなど、なんでもかんでもロボットにやらせるという幻想からロボットでしかできない領域に特化していくのではないかと思っています。そこから先があるとすれば、人の心のふれあいをサポートしてくれるロボットでしょう。

プライベートパイロットの話

アメリカで飛行機のパイロット資格を取ったとお聞きしましたが。

パイロットの免許をお持ちの中島秀之 (公立はこだて未来大学学長) さんから勧められて、2006年にアメリカに行って免許を取りました。
パイロット資格を取ったのは、フランスやモロッコを舞台にした1919年の飛行機乗りの小説を書くためなんです。実は1919年のフランスのことも飛行機乗りのこともよく知らないのに無謀にも2002年に小説を連載してしまいました。それはやはり今いち(笑)なのでまだ本にはなっていませんが。
免許を取った後、今年の3月に、小説の取材を兼ねてモロッコを訪れました。

砂漠地帯を飛んだのですか。

モロッコは砂漠の国だと想像していましたが、実際は農業国で、特に海岸地帯は緑がたくさんあって、大西洋は本当に青いし、アトラス山脈の上のほうは雪化粧で、雄大なパノラマ景色がすばらしかったですね。サン=テグジュペリが飛行したコースなど17.5時間ほど飛んできました。

免許取得の費用はどのくらいなのですか?

渡航費と滞在費を含めて170万円ほどです。 取得には7週間くらいかかりましたが、個人の趣味としてはそんなにべらぼうに高いわけではありません。

ロボットは本来そんなに真剣に付き合わなくてもいいはずで、マニアばかりがロボットを愛でなくてもいい時代が必ずやってくると思っています

アメリカの飛行機乗りの実情はどんな感じなのでしょう?

アメリカでホンダの技術者と知り合いました。
その方が言うには、「日本ではプライベート・パイロットの人口も、また飛行場も少ないから、飛行機というと何か特別なもの、リッチな人たちの娯楽だと思われがちだけど、アメリカの場合は、車で少し走れば次の飛行場があるくらいたくさんの飛行場があり、いろいろな人が飛行機に乗っている。
また飛行機の免許もいろいろなグレードがあって、プライベートパイロットより、もっと低いグレード、例えば自分の農場で農薬散布するためだけとか、自分の敷地の中だけ飛行機に乗るという免許もある。それは訓練を受けなくても取れるので、普通のおじさんが免許を持っていたりする。つまり飛行機に乗ることはそんなに特別なことではなく、しかも中古の小型飛行機であれば200万円くらいで買えてしまい、あとは月数万円のメンテナンス費さえあればいい。古いものでも大事に扱えば長く乗っていられるので、アメリカ人はプリミティブな機械をとても大事に扱っている」と。

多くの普通の人が飛行機に乗っているんですね。

「ところが、そんな航空大国アメリカでもまだまだうまくいっていないところがある」とホンダの技術者は言うんです。
「私たちは車を運転するとき、いちいちボンネットを開けてエンジンの具合を確かめたりしない。キーを回せばエンジンがかかるものだと信用している。でも飛行機の場合は、飛行場に行ったら必ず自分でエンジンの状態をチェックしなければならない。そういう決まりになっている。そのことが、飛行機乗りの人口がアメリカでさえ増えない要因になっている。現在でさえ飛行機に乗るにはエンジニアとしてのスキルが求められる。だからもっと信頼性の高い飛行機のエンジンを安く供給することで、普通の人が普通に飛行機を楽しめるようになるはずだ。そういうことができるようにすることがエンジニアの務めではないか」と。
飛行機は構えて乗る必要はないんです。車もマニアな人たちだけが乗っているわけではないでしょ。日本では飛行機に関する雑誌は少なく、とてもマニアックな内容だけど、アメリカでは車の雑誌同様に発刊数も多く、また内容も幅広い。
つまり飛行機に興味を持っている普通の人たちが多いということですね。
この飛行機の話は、実はロボットにも通用するのではないかと思っています。つまりロボットは本来そんなに真剣に付き合わなくてもいいはずで、マニアばかりがロボットを愛でなくてもいい時代が必ずやってくると思っています。

プライベートパイロットの免許を取ったことで、何かものごとの見方が変わったことはありますか?

それは「安全」に関する考え方ですね。自分の安全だけでなく、周りの人もいかに安全でいられるかをいつも考えること。それがパイロット試験にパスするためのひとつの指標にもなっています。安全というものを背負っているということを指導教官から徹底的に教わりました。飛行機は自分だけが乗るものではないという思想ですね。
「他の人にとっても安全」という考えは、車の免許取得のときに教えてもらった記憶がないので、強く印象に残りました。

飛行機乗りとしてのご予定はありますか?

ぼくが持っている免許は「有視界飛行」だけに限られていて、雨の日は飛べないんです。雲の中にも入ってはいけない。ホンダの人もいっていましたが、「晴航雨読」の免許なんです。
いま日本人でも退職後の楽しみとして、アメリカに行って航空免許を取得する人が増えてきているそうです。日本で飛行機に乗るためには、追加の試験にパスして免許を書き換える必要があるのですが、日本でわざわざ免許を書き換えなくても、ロサンゼルスあたりに行って、飛行機をレンタルして、温泉地に飛んでゆっくりしたほうがいいと思っている。アメリカには温泉地の隣に飛行場があるなんていうところもあるそうです。そのほうが趣味として堪能できる気がします。

これからの予定

6月  「瀬名秀明・大空の夢と大地の旅」 小説宝石7月号からエッセイ連載開始 
8月  『決定新版ミトコンドリアと生きる(仮題)』新潮文庫
8月〜9月  「ワールドSFコンベンション」パシフィコ横浜
第一線で活躍するロボット・人工知能研究者を集めて、日本や世界のSF作家と討論する特別シンポジウムのコーディネートをします。一般の人も参加可能となる予定です。
近刊  『大空のドロテ』双葉社

先日、「日本のロボット学の父」と呼ばれた早稲田大学の故・加藤一郎先生の伝記絵本『ぼくたちのロボット』を出版して、ロボットの仕事はひと区切りついた感じがあります。
プライベート・パイロット免許の取得を通して空港管制官やパイロットの方たちとも知り合えたので、今後は航空システムを巡る小説も書けたらいいなと考えています。

また新たな領域が広がりそうですね。今後のご活躍を楽しみにしています。本日はお疲れのところ、ありがとうございました。


瀬名 秀明氏
1968年、静岡県生まれ。東北大学大学院薬学研究科(博士課程)在学中の95年に『パラサイト・イヴ』で第2回日本ホラー小説大賞を受賞し、作家デビュー。『BRAIN VALLEY』で第19回日本SF大賞を受賞。ロボットに関する著作に『ロボット21世紀』、『ハル』『ロボット・オペラ』『岩波講座ロボット学1 ロボット学創成』(共著)など。現在、東北大学機械系特任教授。2006年にFAAプライベート・パイロット資格を取得。

2007年6月19日(火曜日)

第一回 的川泰宣氏 (宇宙航空研究開発機構 宇宙教育センター長)

そのダイナミックな発言と行動を通じて、人々のハートに火を灯す「人」にフォーカスするインタビューシリーズ。
その第一回目にご登場いただくのは、「日本の宇宙広報の父」的川泰宣氏。
的川さんは研究者として日本のロケットの開発に携わった後、広報・対外協力の責任者として日本の宇宙開発のすばらしさを広く国民や世界に発信され続けてきました。
2005年からは宇宙教育センター長として宇宙教育の普及にも力を注ぎ、新たな展開も視野に入れながら宇宙教育活動を続けています。
6月に開かれた「宇宙教育シンポジウム」講演の後、的川さんにお話を伺うことができました。
(有明ワシントンホテルに於いて  聞き手 ?ロボットメディア 小林賢一)

的川泰宣国際協力で一生懸命やれば、人と人が仲良くなって、ややこしい問題が起こったときでも結局解決するのは法律ではなくて、人と人とのつながりなんだ

的川さんは研究者として宇宙の世界に入り、ロケット開発の現場でご活躍されていたわけですが、広報を担当するようになったきっかけは何だったのですか?

ロケットの現場で働いていた若い頃は、自分が広報の仕事をするなどとは夢にも思っていませんでした。ところが駒場に宇宙研があった頃、わりと物知りだったということもあって、一般の人から電話で問い合わせがあると、交換手はそれが誰に答えてもらえばいいのかわからない質問については全部僕のところに投げていたのです。そうこうするうちに宇宙への人々の関心がだんだん高まり、またハレー彗星の国際協力が始まれば広報も国際協力も大事ということで、対外的に宇宙研の渉外をつかさどる専門家が必要となりました。つまり、それまでのボランティア的な位置づけでなく、業務としてやるようになったわけです。上司からは、国際協力や対外協力については慣れているお前がやれ、時間が空いたときにやればいいからと言われ、それならということで引き受けたのですが、対外的なことというのは暇なときにやればいいということはなく、ほとんど待ったなしのものが多い。また国際協力の多くはそんなに簡単にはいかないものなので、時間をずいぶん取られるようになりました。当初の4対6が5対5になり、やがて6対4、8対2にとなって、そうなるとこれは陰謀だったな(笑)と後で気づいたわけです。

長年、広報をされてきた中で特に印象深い出来事は?

1. ハレー彗星の探査協力  国際協力は人と人との関係づくり

1981年にヨーロッパ、アメリカ、ロシア、日本の4極でハレー彗星探査協力のための連絡協議会(IACG)が発足して、4極で順繰りで毎年会議を行うことが決まりました。
会議にはそれぞれの機関のトップが集まるので、重要事項がその場でどんどん決まっていく。その会議を通して各国のスタッフ同士はものすごく仲が良くなりました。そこで実感したのは、国際協力というのはやはり人と人との関係なんだということです。それはハレー彗星探査が終わった1986年以降も、様々な分野で国際協力を行う際に、自分自身にも宇宙研にとっても大切な財産として役立ちました。国際協力で一生懸命やれば、人と人が仲良くなって、ややこしい問題が起こったときでも結局解決するのは法律ではなくて、人と人とのつながりなんだということが確認できたすばらしい経験でした。

2. 漁業交渉  はやぶさの陰に糖尿あり

旧NASDAが種子島でロケットを打ち上げたときに、一段目のロケットが落下する海域の漁師さんたちと話し合いがうまくいかなくて、そのため海上デモにまで発展したことがありました。
漁師さんたちは東大の先生たちがやりたい研究ならやらせてやればいいという気持ちはあったのですが、旧NASDAの場合は国がやる仕事で、趣味でやっているわけではなく、いずれメーカーが入ってくるのであれば儲けにもつながる、それなのに俺たちの漁業の生活権はどうなるのだという風になっていって、理屈の上で東大だけ優遇するわけにはいかないということで、結局巻き込まれてしまった。
でも漁師さんたちも科学の研究に対して理解はあるのでわれわれにはずいぶん柔らかな態度でしたよ。僕は宮崎、鹿児島、大分、愛媛、高知各県の漁業連合会に行き始めて20年になるけど、本当に皆さんと仲良くなった。漁師さんたちはいくらでも酒は飲むし、カラオケもずいぶんやるし、付き合うには結構大変な人たち(笑)なんだけど、僕自身はそういうのがあまり苦にならないので、漁師さんたちも楽しんで付き合ってくれました。年によってはずいぶん無理を聞いてもらったこともあるけど、それはやっぱり人間関係だと思います。交渉ということで真正面からいっても決して気持ちよくはやってくれない。いくら保証金を積んでも「あいつのためなら」という感じにはならない。公私混同ととられるかもしれないけど、本当に仲良くなったことが結局財産になった。「はやぶさ」のときには5月の打ち上げということで、漁師さんたちとの協定の期間外だったのだけど、なんとか打ち上げに協力してもらいたいと2週間近くずぅっと酒を飲み続けて、結局身体を壊してしまった。
「はやぶさの陰に糖尿あり」(笑)。

研究者が広報活動を行うことと、事務官として就職してたまたま広報に配置されたということでやっている人の心持ちとでは、かなり気分が違う

3. 「のぞみ」27万人のメッセージキャンペーン  宇宙を巡る国民との確かな交流

1998年に打ち上げた火星探査機「のぞみ」の打ち上げ前に、探査機に乗せて運ぶということで、人々の名前をはがきで募集しました。ところが名前だけだとはがきにだいぶ余白ができるので、多くの人が余白の部分にいろいろなことを書いてくれた。27万枚、僕は残らず目を通しましたよ。本当にすばらしいメッセージばっかりでとても感動しました。
そのとき感じたのは、宇宙のことをやっていてそれを知ってほしいという気持ちと国民の宇宙に賭ける期待とが交流しあい、互いに心が通いあったという確かな思いです。それが「のぞみ」のときほど鮮やかに現れたことはなかったと思うんですね。はがきひとつひとつ本当に情が細やかだった。
1990年代の終わり頃は僕もだいぶくたびれかけていて(笑)、「のぞみ」のキャンペーンを通して自分自身もふたたび生き返った感じがしました。おもいっきり心の充電をさせてもらったと思っています。
実は1985年に打ち上げた「さきがけ」の際も同じようなキャンペーンを提案していたのですが、先日惜しいことに亡くなった野村民也先生に「的川君それはだめだよ。打ち上げに失敗したらみんなの名前が海に落ちるわけだから、そんな無責任なことはできないよ」といわれて、そのときはまだ自分も若かったので、年取った人はいろいろな心配をしなければならないんだな(笑)と妙な感心をして、キャンペーン企画を取り下げてしまったのだけど、後から考えたらこれは握りつぶされただけだ(笑)と思った。
「のぞみ」のときに、メッセージキャンペーンのことを新聞で知った野村先生から電話があり、「記事を読んでとても感動した。いいことをやったね」と言われたので、これは一言言っとかないといけないと思い、「野村先生、さきがけのときににぎりつぶしたのを覚えていますか」と言ったら、うーんとため息をついて、「まぁ、時代だな」(笑)。
世の中、便利な言葉があるなぁと感心しましたよ(笑)。

そんな宇宙に賭ける国民の声と直に接してきた的川さんの経験は、今のJAXAにも活かされているのでしょうか?

研究者が広報活動を行うことと、事務官として就職してたまたま広報に配置されたということでやっている人の心持ちとでは、かなり気分が違うと思います。自分のような研究者が広報や対外協力の世界にはまっていったことは、他の研究者からも親近感があると思うけど、事務官の人は、もちろん一生懸命にやっていてありがたい限りだけれど、2年もするとたとえば経理に行くかもしれないという気持ちがどこかにあるでしょうね。ただし、だからこそ担当している間だけでも全力でやる人も出てきますが ……。
研究者がやる場合は内発性が非常に高いので、自分自身にとっての満足度だけじゃなくて、周りの研究者が応援してくれる度合いも大きいと思います。特に年長になったこともあるけど、今では僕が頼んだら断りきれないという不文律があって、僕がまとわりついたら嫌な予感がする(笑)と思われていようです。
研究者じゃないとやはりできない広報活動があるので、事務官の人には、宇宙研の研究者はちゃんと協力してくれるから、わからないことは絶対に自分で答えないように言っています。逆に研究者たちは、広報から振られた一般の人からの質問には、概して丁寧に答えていますよ。少なくとも宇宙研本部はそういう意味で今でも雰囲気はよいと思います。

JAXAの中に宇宙研と旧NASDAというまったく異なる文化が同居していることは一般の方はほとんど知らないので、宇宙研のすばらしい文化がちゃんと国民に伝わらないのはとても残念だなぁと思います。広報を長年やってきた立場からそのあたりはどのように思っていますか?

文化が違うと言ってしまえばそれまでなのですが、宇宙研の文化が消えないようにしたいとは思います。

サッカーは小僧になるとうまくなっていくけど、宇宙小僧の場合は視野が狭くなっていく

3. コズミック・カレッジ  広報の活動の限界と子供たちの将来のために

宇宙が好きな子供たちが集まって、5泊6日の合宿を行うコズミック・カレッジの実施は、自分にとっても新しい世界が開かれる思いがしましたね。講演だとどうしてもその場限りだけど、子供と一緒に寝起きして、子供たちの将来の話などを聞いていると、自分自身がこの子たちの人生設計にかなり責任があると感じるんです。
90年代のはじめ、広報の活動の限界をちょうど感じていた頃だったんですね。広報は宇宙の活動の宣伝をするわけで、私たちはこんな立派な活動しているので皆さんもっともっと知ってください、そうすれば予算も増やせるし(笑)、なんて打算もあってやっていた節もある。本当は子供一人ひとりの人生を耀かせるために宇宙をもっと活用しなければならないのにと思いはじめていたときでもあったので、広報とか普及という概念を超えて、教育に進まざる得ない必然性があったのだと思います。
そのきっかけを与えてくれたのがコズミック・カレッジでした。
5泊6日というのは相当濃厚な時間であり、親と離れるのがはじめてで泣き叫ぶ子もいて、最初の年は、しっかりしたカリキュラムにしようと皆と喧々諤々、授業にも熱が入りました。
それでも2年3年と続けると運営もスムーズにできるようになりました。しかし、マンネリは必ず起こるもので、コズミック・カレッジも見事な授業ではあるのだけど、先生も慣れてしまって熱がない。だんだん流れ作業のようになってしまった。そういうことって子供は敏感に感じます。当時、子供を巡る様々な凶悪事件が起こり、日本の教育はどうなってしまうんだろうという思いと、数十人規模でやっているコズミック・カレッジは結局自己満足なだけではないか、これではいけないと反省が始まって、本当に日本がいい国になるために宇宙が貢献できることは何か探していきたいという気持ちが強くなっていきました。

4. 宇宙教育センターの発足  真の宇宙教育実現への長い道のり

宇宙教育について的川さんはどのようなお考えをお持ちなのですか?

宇宙のことを一生懸命教えるのが宇宙教育ではありません。宇宙のもつ魅力的な素材を軸にしながら、一人一人の子どもが人生をしっかりと生きていく基礎を築いていく手伝いをするということです。教育というのは「育む」という字が入っているように、子供の中にある立派な燃料を燃やすということもあるし、人間関係を育むということもあると思います。
コズミック・カレッジに参加してくれている教師は、熱意のある本当の「教育者」たちです。自分自身も教えられるところが多く、これだけ熱意のある先生がいるんだから日本もちゃんと組織すればきっとうまくいくんじゃないかという感じは持っています。
日本には宇宙少年団という組織がありますが、その運営は各支部がそれぞれ勝手に好きなようにやっている。
ボーイスカウト連盟のボーイスカウトのリーダーではありませんが、クラスに宇宙教育を受けた子が居るだけで教室の空気が引き締まり、さすがだという風になればいいと思います。

サッカーのことが寝ても覚めても好きなサッカー小僧がいるように、宇宙のことが大好きな宇宙小僧(笑)がクラスに一人や二人居るようになるといいですね。

サッカーは小僧になるとうまくなっていくけど、宇宙小僧の場合は視野が狭くなっていく場合もある(笑)。スペースシャトルの長さや重さは良く知っているのだけど、スペースシャトルの飛び方はわからないとか、細かいことばかり詳しくなっていくと宇宙の現場では使いものにならないことが多いです。我々が求めているのは原理をしっかり理解している人たちなのであって、宇宙小僧の資格というのは決してマニアではないわけです。そのあたりは気をつけないといけないところですね。

音楽の場合は「音楽オンチ」というだけで滑稽だからマンガになりやすいけど、「宇宙オンチ」なんてザラにいるからおもしろくもなんともないって

今日は「のだめカンタービレ」のバッグを持っていますが、なにか所以があるのですか?

僕の友達に大澤徹訓さんという作曲家がいます。『マンガ作家の二ノ宮さんは五線譜が読めない人だけど、自分と話すうちにアイディアが浮かんできて、自分がヒントを出すことによって音楽家じゃないと喋らないようなセリフで「のだめカンタービレ」を描いたんだ』、と言うんだな。だから大澤さんには「宇宙ののだめ」ができないかという話をしていて、二宮さんも今取り掛かっている作品が一段落したら、相談に乗ってもいいと言ってくれているようなので、なんとかできればいいと思っているのだけど、大沢さんに言わせると『音楽の場合は「音楽オンチ」というだけで滑稽だからマンガになりやすいけど、「宇宙オンチ」なんてザラにいるからおもしろくもなんともない、キャラクターとしてすごく難しいんだ』って。
宇宙を主人公としたマンガが当たるかどうかはわからないけど、「キャプテン翼」や「アタックナンバーワン」によって、サッカーやバレーボールが子供たちの人気スポーツになったように、「宇宙ののだめ」が作られることで宇宙が人気の分野になるきっかけになればいいなと思っています。

これからのご予定は?

7月初め  ハインラインプライズ審査会 
「ハインラインプライズ財団」というのが全世界のエンジニアやサイエンティストを対象に毎年エッセイコンテストを行っていて、僕はその財団の評議員か理事をやっている関係もあって、北京で行われる審査会に出席する予定です。3日間かけて審査を行うのだけど、世界中から友達も来るので、なぜ北京で開催なのかわからないけど(笑)、楽しみにしているんだ。

7月21日  宇宙研(相模原)の一般公開  
僕が立ち会えるのも今年で最後だと思うので実行委員長を引き受けることにしました。もちろん広報は後任の坂本成一君に全面的にまかせてあるので、口出しはしないつもりだけど、僕も彼くらいの年齢のときにごまかされて広報をするようになったので不安な面もあると思うから、本当にわからないときにだけ自分に聞く位で、後はおもいっきりやれと伝えてあります。きっとうまくやってくれるでしょう。

8月16日  月周回衛星「かぐや」打ち上げ。
9月~10月  IAC国際宇宙会議
インドのハイデラバードで開催。主催団体であるIAF(国際宇宙航行連盟)の副会長なので、どうしても出席しなければなりません。一週間くらい滞在する予定です。
11月 アジア太平洋地域宇宙機関会議 
インドのバンガロールで開催。

年内の予定はたくさんありますね。

そうなんだけど、やはり今後は日本の宇宙教育に力を注いでいきたいと思っています。
さっきの講演(宇宙教育シンポジウム)でもちょっと話たけど、英語には「命」を一言で言い表す言葉がないんだ。英語では「スピリット」と「ライフ」を一緒にすると「命」という意味になる。だけどインドやタイなどのアジアの国の言葉には、日本語と同じように「命」という言葉があるんだ。キリスト教というのはたいしたことないよな(笑)。

宇宙辞書の編纂

宇宙のことを自国語で語ることは非常によいことだと思っていて、例えば、日本人がホイットマンの詩を読んでもどうもぴんとこないのだけど、芭蕉の俳句ならよくわかる。きっとそれぞれの民族でそういう言葉があるのだと思います。
宇宙の言葉をそれぞれの民族の言葉で語るためにも「多言語宇宙辞書」というものがあればいいなと思って、最初はどうしても技術用語が中心になるけど、宇宙に関係した言葉を2000語くらい集めて、世界16ヶ国語にした辞書を作っています。今は日本と中国以外は皆ヨーロッパの国の言葉なので、他のアジアの国々にも一緒にやらないかとメールで呼びかけたら、すぐに5つくらいの国から協力の申し出があって、来年くらいまでにはそうした国の言葉も入れた「宇宙辞書」を作りたいと思っています。

それぞれの民族の宇宙についての詩を各国の詩人に訳してもらって、「千の風にのって」のような曲ができあがればいいですね。
本日は、ありがとうございました。


的川 泰宣氏
工学博士。1942年広島県生まれ。東京大学工学部宇宙工学コース卒業。東京大学宇宙航空研究所を経て、文部科学省宇宙科学研究所、鹿児島宇宙空間観測所所長、対外協力室教授。現在、宇宙航空研究開発機構(JAXA)技術参与/宇宙教育センター長。日本宇宙少年団相談役。

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[ 書籍のご紹介 ]

『近距離移動用パーソナルモビリティの市場と将来性2011』

『高齢者・障害者の次世代自立支援機器と介護者・障害者のニーズ分析2010 』

『宇宙関連ビジネスの波及効果と有望分野 (PDF版) 』

『近距離移動用パーソナルモビリティの将来性 (PDF版)』

『2009年版 住宅・住設メーカーのRTの取組みとサービスロボット分野別市場規模』

『2008年版 企業向けサービスロボットの導入ユーザーの評価と今後の市場』

『2007年高齢者・障害者の次世代自立支援機器の市場性と介護施設のニーズ分析』

『2006, Update on the Partner Robot Market and Analysis of Key Technologies and Parts [Color Edition]』



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