結局のところ、最後は星か、無。
投稿日時 2007-10-1 21:38:00 | トピック: 視点
| <つづき> ジェフリー・A・ランディスの「火星縦断」(早川書房刊)。
旅の途中、生物の化石を発見する。 それは『クラゲか、枝分かれした植物のようで、円筒状の本体から曲がりくねった枝か、触手が出ている』。
歴史的発見を前にそれを持ち帰ることを主張する隊員に、もうひとりの隊員が諭す。 「スコット探検隊は南極点近くで化石を見つけていた。当時としては非常に重要な科学的発見で、彼らは50ポンドの岩を採集して、凍傷やブリザードと戦いながらも、その試料を引いて1000km以上も歩いた。
なぜなら、南極点一番乗りには失敗しても、科学的試料があれば遠征は成功と見なせると考えたからだ。だが、結局彼らは死んだ。
もし岩を持ち帰らなかったら、探検は成功したかどうかはわからない。 ただしこれだけはいえる、その荷物は何の助けにもならなかった」
アメリカはもちろんヨーロッパ、日本も月への有人探査、月面基地構築の後、火星への有人飛行を目指している。
しかし、3日で行ける月と違い、火星までは片道9ヶ月、交信に30分はかかる長旅。 なんらかの事故が発生した場合、ただちに救出に向かうことは不可能だ。
それでも、 「われわれを宇宙探査に駆り立てる衝動こそ、もっとも崇高で純粋な人類の夢だ。 そして、その先へと踏み出さなければ、必ず後退を余儀なくされ、歴史に埋もれてしまうだろう。 H・G・ウェルズがいみじくも語っている。 『結局のところ、最後は星か、無なのだ』」
今後、ますますロボットによる宇宙探査の重要性が増しそうだ。 <つづく>
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