キノコ採りに行ったときのこと。
じめっとした薄暗い林の中で、はじめは中々キノコを見つけられないのだが、だんだん目が慣れてくると、キノコが生える場所がおおよそわかってくる。
採れ出すとおもしろくてどんどん、どんどん山の奥へと分け入ってしまう。
時折ニュースで、キノコ採りにいって行方不明になる人の話を聞くが、気持ちはわかる。
キノコの代表格といえばマツタケ。
アカマツの林に生え、地表から1〜2cm程度顔を出したところを、根本から押し上げるようにして採る。
マツタケの香りの主成分は、マツタケオールと桂皮酸メチル。
よく、ロボット普及の条件に「人智を超えた能力」が要求されたりするが、強力な嗅覚センサーを持つ「マツタケ発見ロボット」、誰か挑戦しないかなぁ。(トリュフも可)
店頭に並ぶ高価なマツタケを見るたび、思う。
<つづき>
火星を往復するには通常978日、約2年8ヶ月かかる。
地球、火星、金星の位置により、往復556日の飛行も可能なようだが、いずれにしろ長旅であることに変わりはない。
火星探査という崇高なミッションとはいえ、無機質な船内で毎日同じメンバーと顔を付き合わさなければならない生活は、大変なストレスになるだろうことは容易に想像できる。
数少ない楽しみのひとつである食事。
現在、宇宙食は約250種類ほどで、宇宙飛行士たちはそれらを事前に試食して、味と栄養価の両面を考えて献立表を作り、それしたがって食事をとることになっているようだ。
いろいろな国の料理も楽しめ、オーブンで温めることもできる。
しかし、そこは宇宙食。
地上と同じというわけにはいかない。
978日×3宇宙食。
火星に行くのはやっぱり大変だ。
<つづき>
ジェフリー・A・ランディスの「火星縦断」(早川書房刊)。
旅の途中、生物の化石を発見する。
それは『クラゲか、枝分かれした植物のようで、円筒状の本体から曲がりくねった枝か、触手が出ている』。
歴史的発見を前にそれを持ち帰ることを主張する隊員に、もうひとりの隊員が諭す。
「スコット探検隊は南極点近くで化石を見つけていた。当時としては非常に重要な科学的発見で、彼らは50ポンドの岩を採集して、凍傷やブリザードと戦いながらも、その試料を引いて1000km以上も歩いた。
なぜなら、南極点一番乗りには失敗しても、科学的試料があれば遠征は成功と見なせると考えたからだ。だが、結局彼らは死んだ。
もし岩を持ち帰らなかったら、探検は成功したかどうかはわからない。
ただしこれだけはいえる、その荷物は何の助けにもならなかった」
アメリカはもちろんヨーロッパ、日本も月への有人探査、月面基地構築の後、火星への有人飛行を目指している。
しかし、3日で行ける月と違い、火星までは片道9ヶ月、交信に30分はかかる長旅。
なんらかの事故が発生した場合、ただちに救出に向かうことは不可能だ。
それでも、
「われわれを宇宙探査に駆り立てる衝動こそ、もっとも崇高で純粋な人類の夢だ。
そして、その先へと踏み出さなければ、必ず後退を余儀なくされ、歴史に埋もれてしまうだろう。
H・G・ウェルズがいみじくも語っている。
『結局のところ、最後は星か、無なのだ』」
今後、ますますロボットによる宇宙探査の重要性が増しそうだ。
<つづく>
ジェフリー・A・ランディスの「火星縦断」。
「2028年、6人からなる第三次探査隊が火星に着陸する。
先の二度の有人探査はともに隊員全滅という悲劇で終わっていた。宇宙開発の未来のためにも3度目の失敗は許されない。
着陸地点近くで待っていた帰還用の船に事故が発生。隊員一人が命を落とし、燃料も失われてしまう。
地球への帰還が最優先事項となった彼らは、新たな帰還船を求めて火星縦断6000kmの旅に出た ・・・」
作者はNASAの火星探査計画の最前線に立つ科学者。
それだけに、最新データ(2000年当時)に基づく火星の自然描写は実にリアル。
極限環境で活躍する、バイクのように疾走するダート・ローバーや岩をまたげる6輪大型探査車ロック・ホッパー、作者自ら設計に加わったバタフライと呼ばれるラム増強ハイブリッド・ロケット・エンジンなど、モビリティやロボットの形状も興味深い。
抽選で選ばれた民間人が危険な火星探査に搭乗する設定に疑問はあるものの、各宇宙飛行士の人物描写も丹念に描かれ、最後までぐいぐい引き込まれる。
<つづく>
<つづき>
夏場は日も暮れぬ明るいうちから、手作り料理と冷えたビールで一杯やる。緑溢れる屋外なら最高だ。
年齢を重ねるごとにうまいものへのこだわりは増す。
昨年、科学と芸術とを融合することで人類の知的文化基盤の創造を目指すイベントが行われた。
科学と芸術が遠いところで共通することはなんとなく感じるし、専門化が進んだ科学をもう一度統合して、それを感性に基づく芸術と融合させることで地球環境をはじめとする多くの難題を解決していこうというのもわからぬわけではない。
しかし、「知性」と「感性」との間には、もっと根源的な何かがあるような気がする。
すぐれた芸術家に食べることが好きな人は、多い。
実際、「グルメな音楽家」「食にこだわる映画監督」という話はよく聞く。
文人が通った料理店を紹介する本も多い。
しかし、「科学者が薦めるうまい店」とか、「フランス料理が得意なロボット研究者」という話はあまり聞いたことがない。
仕方ないことではあるが、研究に没頭するあまり、コンビニ弁当やてんやもので済ませるロボット研究者が多いのではないか。
科学と芸術との融合には、豊かで楽しい食事がまず前提にあるような気がする。
子供の「食育」が注目されているように、研究者と食べ物の関係が気になる。
食べて、唄って、愛して・・・