昨年、慶応大学と共立薬価大学との業務提携の発表があった。
東京大学では「病院を中核にしたイノベーション」を進めている。
また、病院を持たない東京工業大学でも低襲侵組立式手術ハンドや縫合器などの手術支援ロボットを東京医科歯科大学と協同で開発を始めている。
病院は、病気の治療(医薬)はもちろん、経営(経済)、安全(法律)、食事(農)、医療器械・建物(理工)、 サービス(文)とさまざまな領域にまたがる社会の縮図。
大学が病院を持っていることを最大限利用して、「大学病院をプラットフォーム」にした先端医療産業の創出を目指している。
今後、理工系大学と医科系大学、また総合病院との医工連携がますます強まっていくだろう。
<つづく>
<つづき>
アーサー・C・クラークはその著書「スリランカから世界を眺めて」で、家事労働をこなす代替として、動物の改良を挙げている。
ちょっと長くなるがその部分を引用すると、
「動物は、もちろんずっと昔からその習性や体機能の延長線の上で、人間に利用されてきた。
牧羊犬や使役用の象、盲導犬など<中略>、その気になれば、われわれは数10年のうちに、チンパンジーを土台として、知能や学習意欲や言語能力が、さらに性格まで、10倍も改善された生き物を作り出すことができるはずである。
こういう改良猿類(パン・サピエンス)が遺伝選択と生命工学の組み合わせで作れるわけだ」
ヒューマノイドの進捗状況を見れば、チンパンジーを改良したほうがはるかに手っ取り早いと思えるが、
現実は、遺伝子操作を行うことの危惧や動物倫理の観点から厳しく規制され、改良猿類の可能性は今のところほとんどない。
時間もかかり、ハードルがとてつもなく高くても、家事をこなせる多機能ロボットを一歩一歩研究・開発していくしかない。
単機能ではなく、なにより多機能であることこそ、誰もが思い描く「ロボット」であり、もっとも必要とされているものなのだから。
アーサー・C・クラークは、1966年に<ヴォーグ>誌の要請を受けて、2001年の世界を予見している。(「この手の未来予測はあまり乗り気がない」と断りつつ)
パーソナルコンピュータやインターネットの発展(固有名詞ではないが)などの当たっている部分と、完全移動家屋の登場や大都市の荒廃など当たっていないケースもあり、予想の的中率は様々。ロボットについても言及している。
ちょっと長くなるが引用すると、
「・・・素朴な自動洗濯機から、高度な知能を備えた家政コンピュータまで<中略>大部分は据えつけ方式だろうが、その感知装置や操作機構は広い範囲にわたって配置される。
ちょうど家中にサーモスタットをとりつけた現在のセントラル・ヒーティングのようなものだ。
掃除や庭の手入れをする可動式のものもあろうが、その主の仕事には経済性のほかに情緒面をも加えた非機械的な性能が要求される」
つまり、環境型でありながらコミュニケーションのできるロボットを想定していたようだ。
そして、自立型ヒューマノイドについては、「どうしてわざわざ複雑きわまる可動式ロボットなどをこしらえるのか」と、否定的だった。
<つづく>
参考 : 「スリランカから世界を眺めて」(アーサー・C・クラーク / 早川書房)
昨年、南極へ向け南極観測船「しらせ」が出港。7人の女性が参加した。
アムンゼンが南極点に到達したのは1911年12月。
日本の白瀬中尉も同じころ南極点を目指したが、日本が本格的な南極観測をはじめたのは1956年11月だ。
そして日本隊が南極点に到達したのは、12年後の1968年12月。第9次南極観測隊だった。
2015年頃に予定されている火星への有人飛行も、50年、100年もすると今日の南極観測隊のように、なにかトピックスがないとニュースにもならなくなるのかもしれまない。
「7人の女性隊員 火星探査に出発」。
大学工学部の志願者はこの10年で半減、した。
ロボット工学を志望する学生も減っているのだろうか。
創造的な研究には、お金はなかなか寄ってこないかもしれないが、優秀な若い人を呼び寄せる、ハズ。
幅広い分野にまたがるロボットの研究は、いくらでも創造の羽を広げることができ、しかも人に役立つ可能性大。
ロボットが今後、社会インフラとのセットで人々に受け入れられていくことを考えると、理数系の学生だけでなく、
工学的思考の文系学生も受け入れる懐の広さも必要だろう。