映画「バブルへGO!」では、バブル崩壊後17年のわかりやすい象徴として、ケータイが小道具として活躍する。
昨年、6年振りにケータイを換えた。
買い替えをしなかった理由は、これまで使っていたケータイに愛着があったのと、特に不便を感じなかったからだが、
さすがに6年間の進展ぶりはすさまじく、GPS、ラジオ、動画、添付ファイル閲覧、フルブラウザ、おサイフケータイ、ワンセグなど、新機種はまったく「べつもの」、旧機と比べれば、それはまるで魔法の機械のようだ。
以前、取材させていただいた千葉工大の中野栄二先生の言葉をあらためて思い出す。
「生まれた子供が、いきなり目にするのは母親が操作する超ハイテク機器の携帯電話である。
ハイテク機器に囲まれて育った若者たちは、これからなにをやっていくかを考えたとき、『自分のできることなどまだあるのか、もうなにもないのではないか』と、ある種の絶望感にかられる。
ハイテク機器に取り囲まれて育つと、モノの仕組みを見てやろう、技術を極めてやろうという感覚は起こらないだろうし、育つ環境でもない。
いまの子供たちはある意味で大変な時代に生きている」
<つづく>