<つづき>
10年ほど前、スリランカを訪れた。
北海道ほどの小さな島は、多様な変化に富み、文化三角地帯をはじめとする多くの仏教遺跡、美しいコロニアル・ホテル、おいしい食事、そしておだやかな人々の暮らしなど、いつまでも印象に残る国のひとつだった。
しかし、訪ねることができたのは島の三分の二ほど。北部や東部地帯には行くことができなかった。
スリランカは多数民族のシンハラ人と分離独立を求める少数民族のタミール人との間で1983年から内戦が続いている。
2002年にノルウェーの仲介で「法的には」一時停戦になっているが、一昨年12月に勃発した武力衝突では民間人を含む1000人を超える犠牲者が出ている。
1951年、サンフランシスコ対日講和会議で、スリランカは日本に対して賠償請求を放棄し、一部の国々が主張した日本分割案に真向から反対した。
そのときにスリランカのジャヤワルデス大統領が、ブッダの言葉を引用して、述べた言葉。
「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる
人は憎しみによっては憎しみを越えられない」
皮肉にもそんなスリランカが今、憎しみ合いの中にいる。
日本もこれまで、スリランカ和平には積極的にかかわってきた。
2003年と昨年5月にスリランカの和平回復について話し合う「スリランカ復興開発・東京会議」を開いている。
訪れた当時も戦闘で傷ついた人や地雷で足を失くした人がたくさんいた。
日本が人道的対人地雷の探知・除去ができるのは紛争が終了し、平和理に復興が見込まれる地域。それゆえ現状では活動が非常に限定されてしまう。
EUは昨年5月、北・東部を拠点にタミール人国家樹立を目指す反政府武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」をテロ組織に指定し、資産凍結に踏み切った。また、フィンランド、デンマーク、スウェーデンなど国際停戦監視団要員の撤収が続く。
しかし、日本でスリランカの現状を伝えるニュースは、ほとんどない。