2006年のスポーツの記憶は、サッカーワールドカップドイツ大会ではなく、夏の甲子園・決勝だった。
延長15回引き分け再試合を経ての決戦は、純粋に野球自体の面白さを再認識させてくれた。
昨年の甲子園は、バカスカ点が入る試合や逆転試合が地方大会でも多くあり、その勢いがそのまま、あの駒大苫小牧対早稲田実業の決勝戦に結実した気する。
高校生の頃、私は高校野球が嫌いだった。
正確に言えば、マスコミが作り上げる「汗と涙の甲子園」野球が嫌いだった。
感動を無理に強要させようとする演出が、鼻持ちならなかった。
松坂選手の横浜高校が優勝して以来、高校野球人気が低迷していたこともあって、当初、マスコミの反応は駒大苫小牧の3連覇という信じられない記録がかかった大会にもかかわらず、以外と静かな印象だった。
しかし、大会が進むにつれ、TVや新聞による「感動のドラマ」の洪水があふれ出し、斉藤投手はあっという間にヒーローになってしまった。
「伝える」側からすれば、選手一人一人やその家族、関係者の内面を描くことで、試合の中だけでは見えない「感動ドラマ」を演出することができる。
そんな高校野球につきものの「感動ドラマ」こそが、今後、「機械」であるロボットに必要になってくるかもしれない。
「機械」と「ヒト」との間にドラマが生まれたとき、ロボットとの関係はあらたな段階となり、ロボットという存在が「機械」を越えていくのだと思う。