ロボットの面白いところは垂直・水平の様々な分野に活躍の場があること。
宇宙(ロケット、人工衛星、探査ローバーなど)、飛行機(UAVなど)、モビリティ(ロボティック・カーなど)、水中探査(AUVなど)から、生活、介護、身守り、エンターテインメント、公共など多種多様な拡がりがあり、しかも、それらは通信ネットワークやシステム技術でつながる。
また、「ヒト」に近い存在として、「ヒト」を研究する上で利用したり、「ヒト」の代替として活用したりできる点もおもしろいところで、ひとくちにロボットと言っても、その利用分野、活用先によってさまざまなロボットがある。
今更ながら何故そんなことを考えたのか。
先日「ロボット戦争」をテーマにしたセミナーが行われた。そこで感じたのは参加者のロボットに対する漠然とした不安。ロボットがヒトに代わって、戦争の主役になっていくのではないかという生理的な恐怖だ。
ビジネスとしてロボットの普及に日夜頭を悩ましている立場からすれば、「心配ご無用。皆さんが心配するようなロボットはそんな簡単に作れません。まして自らの意思で動くロボット戦士など当分ありえません。まったくそんな心配ができるくらいになりたいものです」と言いたいところではあったが、このセミナーで取り上げていた「ロボット戦争のロボット」というのは、主に米軍がアフガニスタンやイラクで展開している無人航空機(UAV)、特に爆撃を行える無人戦闘機(UCAV)のことで、遠隔操作によって操縦されるため、「戦闘の非人格化=プレイステーション感覚」に陥り易く、誤爆や制御不能などに伴う付随的被害(多数の民間人を殺害)が問題になっているという。
ヒトに善人と悪人がいるのではなく、ヒトの心のなかに善と悪があるように、ロボットも使うヒトの用途によって、平和利用にも殺人兵器にもなる。そんなヒトの心を映し出す鏡のような存在としてもロボットは興味深い。
ただし、技術的に今は「心配ご無用」でも、技術が進化すればロボットはやがて「大変な危惧」になる存在になる。ロボット(機械)とヒトはどのように付き合って(関係性)いくことになるのか。
見守っていきたいと思う。