先日、テレビ東京の番組(※)で建築家・清家清(せいけ きよし)氏の『私の家』が取り上げられていた。
清家氏の自宅である『私の家』は、わずか50?(横幅10m、奥行5m)のワンルーム。そこに居間、寝室、書斎、洗面所などが収められている。
『私の家』には、玄関はない。そればかりか、家のどこにも仕切りやドアもない。
また、内と外との段差もほとんどないため、住まいと庭が地続きになったような、自然との一体感がある。
居間には、移動式の畳があり、ちゃぶ台を置けばそこがお茶の間に、布団を敷けば子供の寝室に、庭に出せばガーデンパ−ティになるといった斬新さ。
移動式の畳など、そのまんまロボットだ。
『私の家』には、鴨長明の「方丈記」を念頭に日本の住宅のあるべき姿を追求した清家氏のはっきりとした意思を感じる。
しかし、なによりすごいと思ったのは、そこに6人の家族が実際に住んでいたということ。
6人もの人間が、仕切りもドアもないひとつ屋根の下で暮らせば、当然、様々なきしみが生じたはずだが、清家氏は、「家族の間にドアはいらない。個室はいらない」とし、家族を信頼することで、『私の家』が、『私たちの家』になる、とした。
今注目されているエネルギー自給住宅やスマートグリッドの先には、ロボットと暮らす上質で創造性豊かな生活=「ロボティック・ライフスタイル」が実現すると思っているが、清家氏の『私の家』には、そのためのヒントがたくさん詰まっていると感じた。
それにしても、『私の家』といい、『続私の家』、『倅の家』、『森博士の家』、『斉藤助教授の家』などなど、清家氏のネーミングはなんてモダンなんだろう。
※美の巨人たち